人が生きている実感を感じるために、わざわざ自らを危険にさらすことがある。ケンカという形で自分のリスクを高めることも、同様なのかもしれない。人ってひと手間かけないといけないんだな…。
心理雑感
人が生きている実感を感じるために、わざわざ自らを危険にさらすことがある。ケンカという形で自分のリスクを高めることも、同様なのかもしれない。人ってひと手間かけないといけないんだな…。
我が家の文鳥、ハルの行動を見ていて、生き物について、生きる実感について考えてみました。
生きている実感は、命が脅かされた感じがした時、種の保存が叶った時などに感じるものなのでしょう。苦しみの中に、生きている実感を見出す人たちがいます。そんなやわらぐ時を持てるようになりたいものですね。
会計士の方との対話から、仕事の適性と個人の特性のマッチングについて考えました。適切な心理テストの活用は、自己理解をふかめることで、先々の自分のために役立つのです。事実はそのままでいいのです。
注意力配分てすとをやってみました。
自分の現実を率直に見ること、それを受け入れ、必要に応じて選択肢を適切に持てること、これも人間の技ですね。
ナルシシズムから離れ、ニヒリズムに陥らない。そんなバランスを探す作業には、心理療法が役に立てる領域です。自分のことを見つめながらの生き方も、なかなか味が深まるものです。
被害者意識の中に居場所を見出さず、ナルシシズムを克服し、自分の成長を促す取り組みに至った人たちのすごさに感動しつつ、自分の心の動きを見つめられればを思います。
ナルシシズムについて、シミントン(1993/2007)の知見から検討した過去の論文を振り返ります。「拒絶された対象」が作りだす衝動について、考えてみてはいかがでしょうか。
教育・医療・産業領域で活動していた玉井仁がブログをここで開始。