心理雑感

<私>を知る心について

『脳はなぜ「心」を作ったのか』前野隆司(筑摩書房)

 この本は,とても分かりやすかったです。
 著者の前野さんは,機械・ロボット・人について,それらの重なりについて研究している方です。とてもロジカルで,心の中の小人たちがいろいろな働きをしているという表現が分かりやすかったです。それら一つ一つがヘッブによる細胞集合体のようなもの,ユングによる観念集合体(コンプレックスとも呼ばれた)とは少し違うものの,重なって聞こえる部分もありました。
 そして,私が示した「インナーチャイルド」という概念とも重なるように説明されていることからも,ますます親しみがわきました。

 前野さんは,「心」も,そして<私>という連続していると感じられる意識も,錯覚だと捉えたほうがよいのではないかと言ってしまいます。
 このような論理展開は,多くの心理学者や脳科学者たちには,なかなか受け入れられないようにも思います。

『脳とクオリア』茂木健一郎(講談社学術文庫)

 実際に,『脳とクオリア』を書いた茂木さんは,そのような捉え方には賛成していないようです。
 人が感動するなど心の動き,そのような生き生きとした質感,単なる脳の神経細胞,ニューロンの発火に還元しきれないとも思われるそれをクオリアと呼び,それはまだまだ解明されていないと述べています。

 前野さんは,人の「心」の働きを,「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」からなると引用しており,人がそれらの何を大切にしているかを整理し,<私>という意識であろうと結論付け,それについて解説をしています。

 「知」とは,知性や知力,「情」は感情,「意」は意図や意思決定の働き,この三つを知情意と呼び,それをうまく働かせるために「記憶と学習」があるとしている。そして,ここまでは,ロボットでもある程度できていると書いています。

 それらを踏まえて,「意識」についての論を展開していきます。<私>って何,そして頭の中でいろんな情報処理が行われていて,それらがどのように統合されていくのか,それはバインディング問題と呼ばれているが,それについても触れていきます。そして最後に,茂木さんが中心に据えた,クオリアとは何か,という問題について語っていきます。

 そして,私たちは<私>という自覚は意識的であり能動的だと考えているが,実はそれ自体が受動的なものであり,様々な無意識の処理がされて出てきた結果を見ている存在なのだという。<私>というものは,そんなほんの少しのことでありながら,「自分がわかったんだ」と主張するようなおめでたいものなのだ,と言っています。

 そして,クオリアについて,記憶(エピソード記憶)を強調するためにある,つまり記憶の索引のために生じたものである。多元的な様々な情報処理が同時に行われており,複数の感覚を重層的に感じさせる。そして,そのクオリアがどのように自覚されているか,という点については「錯覚としか言えない」と述べているのである。指先で感じた触感を,正確には脳で認識しているのだけれども,脳の無い指先でその感覚を感じる,という不思議なことが起こっているように認識されている。つまり,これは錯覚なのだ,と論を展開しているのである。

無意識が私たちを動かしている

 更なる裏付けとして,カリフォルニア大学サンフランシスコ校,神経生理学教室のベンジャミン・リベット教授が行った衝撃的な実験を紹介しています。 

 リベット教授は被験者の脳に電極を指して,「指を曲げよう」と意識した瞬間と,「指よ曲がれ」という筋肉への指令が脳の運動野で出た瞬間を計測しました。結果は興味深く,自分が「指を曲げよう」と意識するよりも,平均で0.35秒前に筋肉への指令,つまり脳の活動が始まっていたというのです。

 意識で感じるよりも,無意識下の指令の方が,先行していたのです。

 殆どの人は「自分の意思で指を曲げようと決めた結果として指が曲がった」と考えます。しかし,この実験が明らかにしたことは,指を曲げようと決めたのは意識ではなかったということなのです。脳の無意識の部分が意識の前にこっそり始めてしまっていた,というわけです。

 しかし、私たちは、無意識ではなく、意識が行動を決めているような気がします。それは、「指を曲げよう」と思ったときに「曲がった」と思えたほうが、行動と意識の間の因果関係も理解しやすいし、行動のあとの結果が予測しやすいからだと考えられます。

 つまり,前野さんによると,私たちはあたかも自分がやっていると錯覚するように,そう感じるちょうどいいタイミングで行動を意識するよう,巧妙に作られているという「受動意識仮説」を展開したのです。

圧倒的な量で意識が生まれるものか

 茂木さんも,『脳とクオリア』を執筆した段階では,この「受動意識仮説」を知らないし,茂木さんの圧倒的な学術的知識の裏付けある思考によるとどのように受け止められているのか,はっきり言うと,受け入れがたいのではないかと考えていました。が,どうやら茂木さんもこの仮説をある程度指示しているようなネット情報がある(そこまで言及した学術報告を私は見ていません)。

 どうなのかなぁ。
 私としては,この受動意識仮説,面白いと思ったのですが,それに対する反論も粘ってみて欲しい,そこからまたいまだ見えていない知見も見えるのではないか,と思っています。
 なら自分で取り組めと言われても,私の知識と訓練では,そこまで間に合うのかどうか…。

『地の果てへの旅』マーカス・デュ・ソートイ(新潮社)

 そこで,イギリスはオックスフォード大学のソートイ教授の本も手に取ってみました。
 ソートイ教授は数学者ですが,「科学啓蒙のためのシモニー教授職」を引き継いでおり,真面目に面白い本をいろいろと書いてくれています。

 この本は,科学の本にありがちな先行研究をしっかり踏まえて,少しずつ自説を展開する,といったような小難しい書き方をしていないので,親しみをもって読めると思います。

 そして,その本の中でも,意識について「答えられない問いに答えようと試みることをあきらめるな!」と締めています。そんな…。

 そんなわけで,私の「意識」「無意識」の探求も,まだまだ途上です。

コロナ対策を行っている心理相談室 玉井心理研究室

 玉井心理研究室では,認知行動療法イメージワークを用いて,トラウマから精神疾患,対人関係など広く心理療法を提供しております
 また,個人のみならず,組織における人事・メンタルヘルスコンサルタントとしてもお手伝いをしております。

 コロナ後に拡がったオンラインによる相談ですが,今後も継続する予定です。