第20回学会開催
本年度の日本認知療法・認知行動療法学会開催は、オンラインでインターネット経由で行われました。今年は、コロナウィルス拡散防止のために、オンラインで行う学会が多いですね。
相談業務の合間にライブ視聴に入り、質問を見て、いろいろと考えておりました。この形は、思いの外参加しやすいです。
人の性格にもよるのでしょうけれども、後でアーカイブ視聴を行うというのもありですが、入れるときに見ておかないと、先送りしてしまうことになりかねないので…。
認知行動療法は、とても分かりやすい明確な枠組みを持っています。
出来事や自分の状態を振り返るための枠組み、そして抱えているテーマによって何をどのように振り返るのか、遠いことも大きなポイントです。他のアプローチを実践する心理療法でも、実はそれなりにちゃんと枠組みを持っているのですが、その枠組みの客観性が異なる、と言ってもよいでしょうか。
例えば、認知行動療法では、ホームページでも紹介していますが(ここをクリックするとそのページに飛びます)、ある特定場面を振り返るために、出来事・頭に浮かんでいた考え、心に感じていた気持ち、行動、体の感覚、といった枠組みに沿って自分を見るのです。
このように、相談に来た人自身が、自ら自分のことを見るというスキルを得やすく工夫されている、これはセルフモニタリングと呼ばれる技法を身に着けてもらうということなのですが、自分の悩みを抱えている人にとって、安心して手を出しやすい特徴ではないかと思います。
更に、様々な技法が備えられていて、相談に来た人に役立つものを組みわせて提供する、そのようなパッケージ化がうまくできているのです。
相談の枠組み
心理療法の多くは、問題をどのように扱うか、その段取りが定められています。それは、先ほど述べたパッケージの話とも重なりますが、例えば疾患ごとに大切な技法が異なるのです。
そして、特に認知行動療法では、そのルールはしっかりと定められ、出来るだけ実戦経験が少ない人でも、ちゃんと指導をされることで一定の結果を出せるようにする、ということに力がそそがれてきているのです。
もちろん別の心理療法、例えば精神分析を実施する機関でも、その取り組みの枠組みは明確にされていますが、その枠組みが守られて実施が進むために、かなりの経験を重ねないと難しいようです。
このような研究の実践は、プラス面とマイナス面がありますし、疑問も生じるところです。
経験がなくても出来るものが本当に効果をもたらすことができるのか、十分な経験を持った人が提供するものは経験が少ない人が提供するものと同じなのか、などです。
その実施を誰がどのように確認し、バックアップしてくれているのか。
人との出会いで問題は軽減されるのか、具体的な方法論がありさえすればよいのか、といったこととも繋がります。
実際には、初学者がしっかりと経験者にサポートをもらいながら行った実践では、熟練者が行った実践と同じレベルの結果がある、という報告は多くあるのです。
「どのように」解決するか/「なぜ」問題が維持されているのか
少なくとも、認知行動療法は、症状を軽減させる具体的な方法に関心が高いのだと思います。
それは、「どのように」という問いが立てられているのです。
「なぜ」という問いを立てるのが好きな人もいます。
私、玉井も解決のための方法にも関心がありますが、その理由や機序を解明することにも関心が向きます。もちろん、そのような私個人の関心は、実際の相談場面では横に置いておくことが多いのですけれどもね。しばしば、臨床に取り組む人はそれぞれに自らの内に問いを持っており、それが自らの実践に向かう力ともなっているのでしょうけれどもね。
何に好奇心を示すかは人によって異なるように、自分の問題の立て方も、何を「わかりたいのか」という個人の関心に寄ってくるのでしょう。
もちろん、具体的な問題や疾患に合わせた問いを立てることも大切ですけれどね。
人がどのように機能を持ち、活用できるのか、そのようなことを考えつつ、意味も欲しくなってしまうのですね。
皆さんは、どのような問いを立てられますか?どのようなことに関心が高まりますか?