心理療法・カウンセリング

「死」をどう考えるか

ベニクラゲ

生きる欲求 死を受け止める勇気

 昨日紹介した本、『生き物の死にざま』を仲間の研究会で紹介しながら、いろんな体験をしている人たちの経験や、考え方について話し合っていました。
 そんな話し合いや、それから考えたりしていたことを少し書いてみます。

 昔の中国の皇帝が、不死を願い、その方策を探させたという話は耳にする話です。ちょっと、クスッとした笑いもともにですが…。

 でも、現代の日本は、ほぼ全員が同じことしているんじゃないの、死を恐れて少しでも生き伸びようと不自然なことをする、笑ってられないね、という話をさせてもらいました。そうじゃないですか。

 人は、生きる欲求に目覚めてしまったので、殆ど「生き延びたい依存症」「死ぬことが怖い症候群」なのかなぁ、などと思ってしまったりします。
 生きている人が知らない「死」を恐れるのは自然なことですけどね。私もよくわからないから、生の先がどのようなものなのか、気になります。

 AIも発展している現在、健康寿命などという言葉が耳に優しく響きますが、それを追求すると、脳だけ残して健康を考えなくていいとか、冷凍保存とか、サイエンスフィクションが現実化しそうだなぁ、ということも悩ましい気がしますね。

 死を受け止めることは、簡単ではありません。
 それ以上に、身内の人の延命をさせずに死を受容することも難しいものですね。

死を迎えさせない、ということ

 家族が認知症になり、意識もないながらも延命治療に入ってもらった人の体験談に耳を傾けながら、一緒に話をしていました。生き延びさせられている人の、ある意味の生き続けさせられる修業は、最高の修行なのではないか、などという話もしていました。

 意識がはっきりしていれば、そんな生き方はしたくない、という人も多いように感じます。ただ、意識が奪われ、生き方も奪われた中で生き続ける、そんな存在の崇高さもあるのかな、という感覚を共有しました。

 精神分析の創始者のS.フロイトも、生の本能したエロス、死の本能としたタナトス、どちらも認めていました。死の本能は、生きることへのあきらめとは違う気がします。死を認めながら受容し、それに向かう心性なのかもしれません。

 生きる意味を考え、死を意識しながら生きられる、それは実は本当に幸せな生き方なのかもしれません。

 話は尽きず、考えも尽きないのですが、コンパクトにまとめて書かせてもらいました。そんな話題の輪を広げていきたいものです。

 「生き物の死にざま」によると、ベニクラゲは死なないらしいし…。自然のすごさです。

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