経済学への違和感から
今回は、宇沢弘文(1928-2014年)という経済学者についての本『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』(佐々木実著)を手に取り、興味深かったので書かせていただきます。
正直に申し上げますと、私は長い間、経済学という学問に対して一定の距離を置いていました。臨床心理士として日々人の心とお付き合いをする仕事をしている私にとり、経済学は人を相手にしていない、どこか冷たい学問のように感じられていたのです。経済理論は、お金の動かし方を検討しているだけで、架空のものを扱っているような印象を持っていました。数式やグラフに囲まれた世界に、私たちが日々向き合っている人間の温かさや苦しみが、本当に反映されているのだろうかと疑問を感じていたのです。
確かに、歴史的にも226事件で亡くなった高橋是清(当時大蔵大臣)など、日本の経済を回すために、自分の人生をかけて取り組んでくれた人たちも沢山いますよね。(ちょっと前に、高橋是清の本を読んでいたので…)
今回、佐々木実氏の著書『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』を読み、その考えは大きく変わりました。この本は、私に経済学の本来の姿を教えてくれたのです。
経済学の原点—人への眼差し
改めて考えてみると、経済学の祖と言われるアダム・スミスも、有名な『国富論』を著す前に『道徳感情論』という書籍を表しています。つまり、経済を考える前に、人間の道徳や感情について深く考察していたのです。この本でも紹介されていますが、第二次世界大戦後の高度成長期の日本でも注目されていたカール・マルクスにしても、単なる理論家ではありませんでした。彼は、産業資本主義の発展に伴って生まれた矛盾や格差を目の当たりにし、苦しむ人々の姿を見て、新しい経済システムを提案したのです。
そうです。経済学は本来、人がどう生きるかを考える学問だったのです。
経済学が政治と密接に繋がっているのも、当然のことなのかもしれません。大学でも「政治経済学部」という名称があるように、経済は私たちの生活そのものであり、社会のあり方そのものなのですから。
ある意味、社会的な実験の予測をしている、と言ってもよいでしょう。
宇沢弘文という生き方
宇沢弘文は、戦後日本を代表する経済学者です。彼はアメリカに渡り、シカゴ大学などで教鞭をとり、経済成長理論の分野で世界的に注目される業績を上げました。若くして数理経済学の最前線で活躍し、ノーベル経済学賞の候補とも目されるほどの実力者でした。
しかし、宇沢は1968年に日本に帰国します。そこから彼の本当の戦いが始まっています。
帰国後の宇沢は、水俣病に関わりました。経済至上主義が自然を破壊し、人間を不幸にしていることを肌で感じ、経済学の中にそのような視点を取り入れようとしました。
自動車の社会的費用について論じ、車優先の社会のあり方に疑問を投げかけもしました。さらに、医療や教育の問題にも目を向け、市場原理だけでは解決できない社会の課題と格闘し続けたのです。
経済学者として華々しいキャリアを捨ててまで、なぜ彼はこのような道を選んだのでしょうか。
「社会的共通資本」という思想
宇沢が生涯をかけて訴え続けたのが「社会的共通資本」という概念です。これは、自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本を指します。具体的には、森林、河川、海洋などの自然、道路、交通機関、上下水道などのインフラ、そして教育、医療、司法、金融などの制度です。
この概念の核心は、「これらは私たちみんなのものであり、市場の論理だけで扱ってはいけない」という考え方です。「自分のものだから自分で好き勝手してよい」という個人主義的な発想とは根本的に異なります。川や森林、空気や水は、確かに誰かの所有地にあるかもしれません。しかし、それらは同時に、私たち全員が生きていくために必要な共通の財産でもあるのです。
人がお互いに大切に生きるために、川や自然なども大切にしていく。一人ひとりの幸せと、社会全体の豊かさを、同時に実現していく。宇沢は、そのような視点を経済学の中に入れようと努力し続けました。
残念ながら、この思想についてこれる経済学者は、当時も今も決して多くはありません。市場原理、効率性、成長率—そうした数値で測れるものを重視する主流派の経済学にとって、宇沢の主張は受け入れがたいものだったのでしょう。
現代への示唆
しかし、宇沢の視点は、まさに現代の私たちが直面している問題に対して、明確な指針を示してくれています。
例えば、近年問題になっているソーラーパネルの設置のために森林を切り開くという事態を考えてみてください。再生可能エネルギーは確かに重要です。しかし、そのために森を破壊していいのでしょうか。森林は、水を蓄え、生態系を支え、私たちに酸素を与えてくれる存在です。それは誰か個人の所有物である以前に、社会的共通資本なのです。
宇沢の思想に立てば、この問題の答えは明確です。短期的な経済効率だけを追求するのではなく、長期的な視点で、自然環境という社会的共通資本をどう守りながら、持続可能なエネルギー政策を実現するか—そこまで考えなければならないのです。
心理学と経済学の接点
この本を読んで、私は大きな気づきを得ました。経済学は、心理学と同様に、人に関する学術領域だったのだということです。
私たち臨床心理士は、一人ひとりの心の問題に向き合います。しかし、その心の問題の背景には、しばしば経済的な困窮や社会的な格差、不公正なシステムが存在しています。雇用の不安定さ、医療へのアクセスの困難さ、教育機会の不平等—これらはすべて、経済の問題であり、同時に人の心の問題にも繋がっているのです。
宇沢の「社会的共通資本」という考え方は、「人はどのように生きるのか」という根源的な問いに、経済学の立場から答えようとした試みでした。それは、心理学が「人はどう生きるべきか」を問うことと、本質的に重なり合っているように思います。
さいごに
この本のタイトル、『資本主義と闘った男』は、決して大げさではありません。宇沢弘文は、本当に資本主義の暴走と闘い続けた人でした。しかし同時に、彼は経済そのものを否定したわけではありません。経済を、人間のために、人間らしい生活のために取り戻そうとしたのです。
この本を読み、経済学って面白いなぁと、心より思います。もちろん、経済学は様々な領域や潮流があり、宇沢はどちらかというと主流の経済学に対して疑問を投げかけ続けた人でもあります。経済学については詳しくはないのですが、自分の仕事である心理臨床と、経済や社会のあり方が、深くつながっていることを改めて実感しました。
私たち一人ひとりの心の健康は、その人を取り巻く社会のあり方と切り離せません。宇沢弘文が目指した、人間を大切にする経済のあり方は、私たち臨床心理士が目指す、一人ひとりを大切にする社会のあり方と、重なる部分も多いと思います。
この本は、経済学の専門書ではありません。一人の経済学者の生き方を通して、「人間とは何か」「社会とは何か」を問いかける本です。心理学に関心を持ってこのブログを見て頂いた方々も、手に取って頂くと、経済学の概略も見ながら、時代背景、そして宇沢という人が生きた物語としても楽しんで頂けるのではないかと思います。
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