心理雑感

戦後80年 広島で広島を感じる

広島に行ってきた

 前から行かないと、いや行きたいと思いつつも、実現していなかったのが、広島の平和記念公園原爆ドームなどの訪問です。
 ふと時間に隙間があることに気づき、思い立ち、夜行バスで東京から向かいました。
 家族には、「そんなにバタバタいかなくても…」と心配そうな目で見られましたが…

 行く前から、広島平和記念資料館の情報は、結構調べていました。
 ネットを介して資料を見るだけで、感情が強く揺さぶられる感じがあり、実際にそれらを目にしたら自分が何を感じるのか、何が自分の中から生まれてくるのか、不安や楽しみがありました。

 広島平和記念資料館、朝7時半からのチケットを事前に予約して、バスで12時間強、ゆっくりとバスは広島に近づいていきました。

沢山人がいる

 広島につくと、朝8時前なのに広島駅周辺では人が結構います。
 バスで平和記念公園に向かうと、よくテレビで目にしていた景色が見えてきます。
 
 広島平和記念資料館・原爆死没者慰霊碑 そしてその向こうに原爆ドームが見えます。
 写真を何枚か撮り、すぐに資料館に向かいます。

 事前予約で入れたから、スムーズでした。それでも、中はそれなりに混んでいます。
 皆さん、静かに一つ一つの説明もじっくり読まれながら進みます。ゆっくりです。そしてとても静かです。

これは人類への挑戦

 すさまじい衝撃、破壊。おびただしい死。
 被爆者たちの話も、見ていましたし、改めて聞きもしました。その人たちの多くは、爆心地から1キロ以上離れたところで被爆しています。爆心地に近かった人たちは、否応なく、即死、または速やかに死に連れていかれたようです。
 恐怖と驚き、そして絶望、それも希望が見えと思ったらまた絶望がくる。そんな人たちの生きざまが目の前に示されます。

 感情が少し間、麻痺しているのを感じました。
 泣くこともできない、悲しむこともできない。

 どうすればよいのだろうと、戸惑いも感じます。

祈り

 その後、平和記念公園内をいろいろと回り、最後に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に入りました。
 地下の部屋で、約一時間、静かにしていました。
 私が何を感じるのか、何が自分の中から出てくるのか、確かめたかったからです。
 多分、変な人に思われたかもしれません。自分の無意識がどのように反応するのか、感じて見たかったのです。

 その施設では、苦しみを超えた感覚を覚えました。
 ただ、それは苦しみがなかったのではなく、それが強くあったこと、そしてそれに対して、本当に多くの人たちが祈りをささげ続けていること。
 長い祈りを通し、原爆死没者たちの苦しみが少し和らいできているのではないか、と感じたのです。
 私の、希望的感想なのかもしれませんが…。

 祈念館では、1945年12月までに14万人+1万人程度の方がなくなったと記録されております。人数、ということではないですね。
 衝撃、それも人が人に対して行ったこと。

 更に原爆被害の後、被爆者の人たちは10年間ほど何ら国からのサポートを受けられずに過ごしたのです。更には、広島出身であることを隠していないと社会的にも差別されるような環境におかれました。

 昨年は、ノーベル平和賞に被団協が選ばれました。
 祈りの力です。

 逆に考えると、それだけたくさんの祈りを必要とすることが生じたのです。
 祈り続けなければならない、それが実感です。

 それは、広島・長崎といった原爆だけではなく、戦争もすべてそうです。
 そして、日常のちょっとしたことについても、「祈り」は大切です。

 祈りをプラスの力にしていかないといけないのです。

 かつて、私が修士論文で『「祈り」の効果』の研究を提出しました。(リンク先は、それを少し省略して掲載されたものです)
 祈り、これは人と人をつなげる、人と自然をつなげる、お互いを仲間とする、そのような働きだと思います。

 広島で、改めて感じたことでした。
 読んで頂き、ありがとうございました。


玉井心理研究室が提供する心理支援

 玉井心理研究室では,認知行動療法イメージワークを用いて,トラウマから精神疾患,対人関係など広く心理療法を提供しております
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