Dialogue in silence 音のない世界
玉井です。
先日、音のない世界を体験してきました。
昨年は、真っ暗闇の中で目が見えない世界を体験しました。その時に知り、いつか来てみたいと思っていたところです。
真っ暗闇の中での体験については、以前このブログでも紹介させていただきました。
前回は Dialogue in the dark それに引き続き、今回は Dialogue in Silence です。
結論から先に言うと、前回の真っ暗闇の体験はとても楽しかったのに対し、今回の音がない世界の体験は、本当に疲れました。
前回の楽しさは、人の目線から自由になった、という面が大いにあったと感じました。
一方、今回は人の目線こそを頼りにしないといけないので、自由になる感覚がまるでなかったのです。
相手の考えを読み、伝える
見えない世界は、相手のことが見えないので、言葉で伝えるしかありませんでした。
音の聞こえない世界は、身振り手振りで伝えるのみです。
これは、きつい。もちろん、私にとっては、ということです。
もしかすると、私が言葉を介して人と関わることに慣れているからなのでしょうか。一緒になった人たちの影響なのでしょうか。
ガイドをしてくれたのは、聴覚障害者の方です。生まれた時から、音が聞こえないとのこと。
それは、どのような世界なのか、体験してみて、視覚障害とはまた異なる大変さを感じました。
とても表情が豊かで、率直な方でした。
実は、一緒に体験をしたのが偶然ご一緒した大家族の子どもたちが殆どだったので、それも何かしら私の体験に影響を与えたのかもしれません。
伝わらないのに、遠慮をした
今回の体験の中で、身振り手振りである映像を相手に伝える、という作業がありました。私はもう一人の初めて出会う男性と組んで、ご一緒した親子二人組に伝える、という役割でした。
その男性が伝えようとしていること、私が伝えようとしていることに不一致がある気がしても、それをしっかりと詰めるのが難しい。なんとなく相手に遠慮してしまう自分もいたし、親子にもパートナーにも伝わっていない感があったり、伝えるための熱量が足りない気がしたり、もどかしい時間が多かった。
相手から見えるということにとらわれる自分がいたのは、明らかです。
人は、誰もが生きていくための工夫があります。
私も、生きていくために、相手からどのようにみられるか、を結構意識してきたんだなぁと思います。それは、悪いことではなく、そのことで自分が成長できた面も多いと思いますが、自分の自由な感覚を損なうときがあることも多少自覚しています。
でも、自由になりすぎると、元々の私の口は悪すぎるから、仕事にならないのです…
伝えるためのエネルギー
普段、意識せずとも音が聞こえている世界にいるということ、そのことで改めて考えさせられたことがありました。
社会的活動の中では、私は自分の考えを相手に伝えるために、結構エネルギーを割いている自覚があります。
一方、今回は仕事から離れて、家族とか身近な人との関係で、あまりエネルギーを使っていないかも…と考えさせられました。
音が聞こえない世界は、自分が身に着けてきた社会性を奪い、私を幼稚な存在にした気がしたのです。私は、音に敏感で、それを頼りにしているところが大きいのかもしれません。
心理療法の一分野、少し外れたところに位置づけられることも多いのですが、NLP(Neuro Linguistic Programing:神経言語プログラミング)というアプローチがあります。
随分と前、私が催眠のトレーニングをする前に、関心をもって勉強していた時期があります。その中では、人の感覚で 視覚 聴覚 身体感覚 の3領域を重視し、人によってそれらのどれかを優位に使う傾向がある、という考え方をしています。
視覚情報は、読書や状況観察に際してのみならず、見えるものを通して世界を理解するのに使われています。
聴覚は、音楽に限らず、日常の音を通して世界を感じるのに使われています。
身体感覚は、感触などを含めた感じを通して、世界を感じます。
音、私の妻も音楽に取り組んでいる人ですが、それも何か関係あるのかな…
人を理解することも大変ですが、自分自身のこともまだまだ分からないことがたくさんありますね。
知らない自分との出会いは、ときに不快感さえ伴いますが、面白いものですね。
玉井心理研究室が提供する心理支援
玉井心理研究室では,認知行動療法やイメージワークを用いて,トラウマから精神疾患,対人関係など広く心理療法を提供しております。
また,個人のみならず,組織における人事・メンタルヘルスコンサルタントとしてもお手伝いをしております。