感情

悲しみという感情

 2/3は,当研究室定例のオンライン・グループを無事に開催できました。
 参加いただきました皆様,ありがとうございました。

 その中でも少しだけ共有しましたが,悲しみという感情について書いてみました。
 グループの中でも,悲しみに触れることはとても大切だよね,悲しみに触れる入り口となるものは,本の一節だったり,映画だったり,本当に人によってさまざまだけれども,自分の中の悲しみに触れて,それを手放して,うまく付き合えるようになることが大切だよね,という話をしています。

「悲しみ」という感情

 私,玉井が関わっているある勉強会で,このところ感情について話し合っています。私の著書「7つの感情」について話してからなのですが,先日は「悲しみ」についてとても有益な話し合いがあったので,振り返りのつもりで書いておきます。過去にも,この感情については書いていますね(ここをクリック)

『7つの感情』より

 「悲しみ」は,本の4章,つまり四番目に取り上げた感情です。

 すごく簡単に本に書いてあることをまとめておくと,

・悲しみは大切
・悲しみは大切なもの(人や物に限らず,価値観や態度なども含む)との別れを示す
・悲しみを乗り越えるというより,共に付き合っていく
・悲しみを安心して共有できる人はいるだろうか
・大きな悲しみを体験し,それを自らの内に抱えられるようになっている人は優しくなる
・悲しみは酔いやすいから注意も必要

などです。

 実際に,戦争や天災などで理不尽な体験で身内を失うなど,悲しみなどと簡単には言えないような激しい絶望感や憤りを目の当たりにするときに,人がその様な感情とどのように付き合っていくのか,ということから口火が切られました。

乗り越えるものなのか

 悲しみは,乗り越えるものなのか,ということについて考えてみました。

 乗り越える,それ自体がどういうことを想定しているのかも様々かもしれませんが,悲しみの原因となったことが,大切な家族との別れだとしたら,その家族を忘れるということではないと思います。
 逆に,忘れないように,時々悲しみに触れ続けたいと考える人もいるでしょう。
 その記憶をなくしてしまうと,悲しみもなくなるでしょうけれども,その様なことを望む人が沢山いるかはわかりません。余り,沢山はいないのではないでしょうか。

 その人はもう目の前にはいないけれども,その人との沢山の想い出が自分を支える,そして自分の心の内に住み始めてくれたその人との関係が新しく感じられるようになり,その人との新しい関係を構築していく人もいるでしょう。
 それは,単に楽しいとか嬉しいというような単純な感情ではないでしょうし,どこまでいっても一抹の悲しみも伴い続けるとも思われますが,それを大切にしていきたいと考える人はいるように思います。

 そのように考えてみると,「悲しみ」は,乗り越えるものではなく,うまく付き合っていくものと言えるのでしょう。悲しみという世界の中に住み続けることはなくても,時々その世界に触れて,繋がりを感じ直すこともあるのでしょう。人によって,その世界に触れるために,音楽やちょっとした触れ合いなど,様々なものが使われているようにも思われます。

 参加者のある方は,この感情について「心のとても深いところにあるものとの繋がりを示すもの」というような表現をしておられました。
 どうやら悲しみという感情は,怒りや不安などとは少し異なった深さ,特別な意味を持っているようです。

悲しみを感じない人はいるのか

 いる,と思います。
 恋愛でも,悲しい体験をしないように,自分から関係を切ってしまう人がいますよね。人間関係を断片化し,深く関わらないようにする人たちもいます。
 悲しみを全く感じていないかどうかは不明ですが,悲しみに対して「意味がない感情」という言葉を耳にしたことがあります。
 怒りのように,頑張るエネルギーにもならないし,自分を停滞させるだけ,という感じがしてしまうことも理解はできます。

 かつて,ご自身の感情を丁寧に見ていくことができた方で,「私は悲しみという感情が自分の中に出てきそうになったら,それをすぐに(無意識のうちに)怒りに変えてきたことがわかりました」ということをおっしゃった人がいました。その方は,最初はあまり自覚しておられませんでしたが,怒りという感情に強く影響されている方でした。
 また,サイコパスの方々なども,悲しみという感情を理解はしているけれども,自分が体験するものとしては除外していると思われます。

繋がりを知らせる感情

 勉強会のメンバーの一人は,最近義父が亡くなり,「こんなに悲しくなるとは思っておらず,驚いた。でも,それほど義父を近しく感じていたのだと知り,嬉しかった」と述べておられました。
 悲しいのだけれども,喜びが伴われています。
 悲しいという感情は,単にネガティブなものとも言えなさそうです。ポジティブとネガティブ,それ自体が人が勝手に張ったレッテルなのですが,プラスとマイナスがブレンドされたもののように思われます。

 悲しみという感情は,「繋がり」を知らせてくれる感情のようです。決して激しいものではないのですが,静かに繋がりがあることを教えてくれます。静かでも停滞しているのではなく,深く相手を感じているのですよね。いとおしむ,という言葉もありますが,「愛」とも繋がるのでしょうね。

 悲しみがないと,過ぎ去った人に思いをはせることが少なく,薄っぺらになってしまうのかもしれません。歴史家は過去を明らかにしていくことに取り組みますが,それは,過去の悲しみを明らかにするという面もあります。
 しばしば,この出来事を風化してはいけない,という言葉が様々な天災・人災などの後に語られます。それは,まさにその悲しみを引き受けていき続けていこう,という生き方を示してもいます。
 悲しみは,人の心に深く訴えるものがあります。

 悲しみは,人と人,過去と今など,様々に繋ぐ働きを持っているのでしょう。
 そうでないと,悲しみという感情は不要なものとして,生物発展の過程で淘汰されているはずですからね。

優しさや思いやり

 「慈悲」という言葉の中にも,「悲」という漢字が入っているということも指摘されました。
 悲しみを自分の中に深く保持している人には,優しい人が多いようです。

古語では,かなしみ という言葉は,いとおしむ という意味を持つということは先にも少し触れました。悲しみを体験してきたからこそ,人に優しくなるのでしょう。

 人の悲しみに触れ,不思議なぐらいに涙が止まらなくなった体験をしたという人もいると思います。その人との関係が深まるように感じることもあるでしょう。自分がその悲しい世界に触れたくない時に,代わりに人がその世界に触れてくれていることでホッとすることもあるのでしょう。

 悲しみの世界は独特で,個人差が大きく,時間と共に,その悲しみと距離を置いて付き合えるようになるのだとも思います。
 それは,分かってくれる人がいることも有益かもしれませんが,時間は大切な気がします。水の中に,ゆっくりと沈んでいくものがあるように,人によって差はあるでしょうが,無理やり早く処理するということは難しそうです。

 戦争や不要な争いを留めるために,「悲しみ」は力を発揮します。反戦運動などでも,悲しい体験をした人たちの話が語られます。お互いのつながりを断ち切らないようにしよう,という強力なメッセージなのです。

 嫌なことをしてくる人に対して,怒りをぶつけてもケンカになるだけで,こちらが不快であることが伝わらない,ということがありますよね。そのようなときに,「そのようなことをされて,とても悲しかった」と言ってみたら,とお伝えすることがあります。悲しみは,攻撃ではなく,多くの人が寄り添いたくなるような引き付ける感情であるがゆえに,相手に届くことも少なくないのです。

 やはり,悲しみは「繋ぐ」感情なのですね。
 悲しみという感情の存在について,改めて考え直す機会となったので,簡単に共有させていただきました。

コロナ対策を行っている心理相談室 玉井心理研究室

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