静寂と混沌
最近,子供らも春休みで妻の実家に皆でいってしまっている。
一人での生活は,いろいろと改めて気が付くことが多い。
最初は,一人で自分の気ままに過ごせることに,羽を伸ばせるような喜びを感じていた。
そして,普段は坐るとなかなか動かないのに,ちょっとしたことでも本当にまめに動きまくる自分がいる。
人にやってもらうことも,自分でやることも好きだ。甘えたり,律したり。
人は自分の思うようにはならないから,それでイラっとしてみたり,それを我慢して笑ってみたり,普段はなかなか忙しいのだ。
だから,心が静かになり,いろいろなものが見えてくる。
まるで,人ごみの中での生活と,禅寺での生活の違いぐらい変化する。
どちらも好きな生活だ。
昔の禅寺での修行を懐かしんでみたり,こんなに気ままではないけれども…。
一つ一つの行動に想いを込めてみたり…。
人と過ごすことは,すごくたくさんの刺激がある。
よい/わるいではなく,刺激なのだ。
その刺激が嫌だ,という人もいるだろう。
確かに,その分人と調整しなければならない,人と話し合ったり,我慢したり,我慢させてしまっていたり,そのことに気づいてまた歩み寄ってみたり,そんなことが沢山ある。
一人でいると,食事も自分で作る。
もちろん,好きなものをチャラッと作るだけ。
片付けも簡単。
そして,できるだけ音を出さない。
感情の変化
夜に,布団に入ることに,随分となれたなぁと思う。
私は元々寝つきがすごく悪くて,昔,一人暮らししていたころには,よく悩んでいたけど,
ちゃんと寝られるようになった自分がいるのを確かめる。
寂しくて寝られないかと思ったけど,そうでもない。
ただ,自分の感情の動きがいつもと違うことに気が付く。
普段よりも,少し繊細に,過敏になっている。
環境の変化に慣れていないからの反応かもしれない。寂しさが強くなっているからかもしれない。
多分,どっちもちょっとずつある。
ただ,感情の変化もちゃんとフォローできている。
静けさ
朝目を覚ますと,静か。
文鳥のハルに挨拶する。
ハルも,いつも可愛がってくれる人たちがいないことを分かっているのか,少し我慢しているようだ。
余り私にはなついていないのに,かごから出すとずっと私に付きまとう。そしてフンをする。こらっ!!
子供からのメッセージに,「ハルをしつけなくてよいからね」と書いてあった。
私は,しつけようとしすぎるのかもしれない。
ハルは,食べ物を大切にしていない!エンターテイメントができない!芸がない!などなど。
とにかく,自由にしておいた。
普段は,誰もいない家に帰ってくると,飛び回って喜びを表すのに,このところ私が帰ってきても巣の中でひたすら寝ている。
退屈に飽きてしまって,ひたすら寝てしまうのだろうか。
そして,静かな朝には,いつもよりゆっくりと坐禅をする。
これもまた,よい時間。
静けさは,たくさんのことを教えてくれる。
そして,また人との関わりの中でも,自分の中に静けさを持てるようになる力に気づかされる。
再会
静かな生活に慣れ始めると,感情も静かになっていく。
それは,ときに自分の感情への鈍さへと繋がる部分もある。
再会できる日に,淡々と過ごしていたのだが,生活リズムが少しくるって早く目が覚める。
どうしたのかなと,心の深くを感じてみると,再会を楽しみにしている部分がある。
同時に不安もある。
静かだと思っていたけど,心深くはやはりいろいと動いているなぁ。
その様な気持ちの変化を丁寧に感じつつ,とらわれずにとどまり,それらが通り過ぎていくのを見る。
みなさん,様々な感情に振り回されすぎず,過剰な喜びにも,苦しみにも囚われませんように。
どのような感情も必ず通り過ぎていきます。
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