心理学における時間
時間の定義は様々である。
心理学では、物理学とは異なり人の認識する時間について考える。
私たちは、今という時間を認識することができるのだろうか?
認識した瞬間に、それは過去となる。まるで、不確定性原理のように。
それでも、成育過程や発達という時間のつながりは意識される。
時間が流れるというのは、便宜的なものだとも思われるが、一般的な理解としては受け入れられやすいものでもあろう。
赤ちゃんが幼児になり、小学生、中学生、学生となり大人となっていく。そしてさらにさまざまな経験を積み、発達していく。
人は、発達し成長していくものとされている。これは、時間のなせる業・変化であろう。
少なくとも、同じ瞬間はない、ということは心理学だろうが物理学だろうが、共通しているところであろう。
今という一瞬をとらえることが難しいように、永遠という時間も難しい。
結婚では、永遠の愛などが誓われるが、永遠に大切にし続ける、という意思を持ち続けようと頑張る、という意思表明というのが現実であろうか。
その瞬間は永遠と思ったのに、数日しか持たないという笑えない話もあるが…。
意志は時を超えるのであろう。これはまた別の機会に書けるだろうか。
時間と変化・成長
ただ、子どもでも大人以上に成熟した姿を示すことがある。
過去に傷つき、時間が癒すものもあれば、癒されるまいと頑張るものもある。
フロイトは、『無意識について』(1915)において、無意識には時間がないと述べた。
まず、無意識は時間を認識するのだろうか。認識するのではなく、ただ感じるのであろうか。
その中では、今と過去は混ざり、未来も混ざり、今の瞬間だけが凝縮してあるのだろうか。
ヨガが禅が、その世界への入り口を示していたが、現代ではマインドフルネスが、その無意識の永遠の広がりを持つ世界への扉を開けようとしていた。
囚われからの解放
人は、どうしても囚われる。
過去の出来事や、自分の価値観などに。
その囚われからの解放も、広く自分の中にある広い広がりを感じることによって、進むものもあるのだろう。
時間についての本もいろいろと読んだけれども、本棚から、『時間と出来事』(渡辺由文著)を出してみた。哲学を土台に、様々な視点を整理し、時間について考察していて、面白かった記憶がある。
ただ、今日のブログはそれに根拠を求めず、私、玉井の思索です。
少し、日々のパターン化した行動から離れ、人とも離れ、広い世界の扉を開いてみませんか?
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