読後の感想(続き③)
アマルティア・セン氏は,インドの経済学者でアジア初のノーベル経済学賞受賞者です。
縁があって私のもとにやってきた表記の本,「グローバリゼーションと人間の安全保障」を読み,いくつかの思いが湧きました。
今回は,感情,特に人を憎む感情がどのように作られているのか,セン氏が指摘していることを土台に書いてみたいと思います。
感情
私は,感情には必ず意味があると言ってきているのですが,感情自体が意図的に,言いかえると人為的に作られている,という側面も改めて考えさせられました。
憎しみ,という感情です。
セン氏は,オグデン・ナッシュの詩を紹介しています。
学校の子どもなら誰だって夢中で人を好きになるけれど,憎むとなれば,それは技をようするものだよ。
そしてセン氏は,憎むという技術は,熟練した芸術家や扇動者の手によって発達してきたもので,そこでは唯一の限定された好戦的なアイデンティティ―を相手に付与するという武器が選ばれれることが多い(P85),と述べています。
ちょっとした例を使って考えてみましょう。
例えば,自分の子どもに「あの子と遊んじゃいけませんよ」という親がいます。
”あの子”は私たちとは異なった人間であり,敵でもあるのだ,ということを急に強いられ,その友達のことが好きであったにもかかわらず,どのように付き合っていけばよいのかわからなくなってしまうのです。
かつて,いや,今でもですが,様々なこのような敵対的かつ排除的な強要はあちらこちらに見られます。
そして,実際にそのような立場に追い込まれた人が,不思議なほどその立場に囚われていくのです。
その立場に追い込まれても,自分の選択を自由に行えた,という人は少ないのです。
これは,先日書いた理性のところでも述べたことです。
このような人の心の動きは,心理学的に確認されているのでは,という視点もないではありません。
かのおぞましい実験,ミルグラム実験です。
その実験では,健康な21人の成人を,看守役と囚人役に分けて過ごさせると,それぞれの役をしっかりと果たすようになっていき,看守役はより攻撃的に囚人役を責めるようになっていった,ということが確認された,というものです。実験自体は途中で中断され,かつ実験の効果も問題があるのではないかと疑問も呈されているものではありますが,人の心が如何に脆いか,ということを示しているのではないか,という結論が引き出されました。
確かに,傍観者効果というような集団心理,それは他者に対し援助すべき状況であるにもかかわらず、周囲に多くの人がいることによって、援助行動が抑制されてしまう心の動きのことですが,そのようなものも確認されてはいます。
憎しみという感情に戻りますが,憎しみは,自分を一つの狭いカテゴリーに当てはめ,そのカテゴリーから外れた人を排除しようとする,ある種の自己防衛という人が持つ機能を利用した感情なのですね。
人の心や行動は,完全にその人の意志のもとに制御されているのではないことは事実です。
それでも,そんな心に対する意識を高め,心の自由をゆとりをもって見られるようにする,そんな取り組みも心理療法ですね。
私たちは,理性で不快な感情が通り過ぎることに耐え,新たな感情が来ることを待てるのです。つまり,感情も選択できるのです。
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