怒りを客観視する
怒りが通り過ぎた後に,
「しかし,怒っていたなぁ」と自分のことを見ることがありますか。
通り過ぎてからでも,そんな自分の怒りを少し遠くに見る,それは練習に繋がります。
実際に怒っているときに客観視できるようになるには,しばらく修練が必要ですからね。でも,できるようになりますよ。
実際には,怒っている自分にできるだけ速やかに(数秒?)気が付いて,更に行動の調整ができるだけの余裕を持てるようになる,ということですけどね。
私も,怒りの観察はとことんやりましたね。
いろんな感情を観察してきましたが,怒りを手なずけるには手がかかりました。無理かと思ったときもありましたけど,できるものですよ。
そして,カウンセリングを利用してそのような練習に一緒に取り組む人も結構います。
自分への突っ込み
自分の怒りを観察していて,自分に突っ込みを入れられるようになればしめたものです。
怒っている自分を笑うのです。
かつて,富士山をスプーンで掘り返そうとしながら,それがなかなか進まないことに怒っているような自分がいる,という突っ込みを入れた人もいました。(少しだけ修正してしまいました)
かなり楽しかったです。そして,そんな客観視をできつつあることを喜びました。
「派手を司る神…祭りの神だ」(鬼滅の刃より)
これは,鬼滅の刃9巻における宇随天元(うずいてんげん)の名言セリフですね。
少し解説しましょう。(解説して面白いのかどうかはわからないが…)
宇随さんが主人公の炭治郎らを引き連れて遊郭に向かうのですが,その前に,炭治郎らに向かって,「俺は神だ…それをしっかりと頭に叩き込め」(宇随さんは強くて偉いのです)と言うことに対して,善逸は「やべえやつだ…」と反応します(それは正しいが(笑)),炭治郎は「何を司る神ですか」と質問します。
宇随「いい質問だ,お前は見込みがある」
善逸(アホの質問だよ 見込みなしだろ)
宇随「派手を司る神…祭りの神だ」
善逸(…アホを司っているな 間違いなく)
…
日本の神様って,変で素敵な神も多いから,そんな感じなのか…,いやいや,何とも言えないが…。日本の神話でも,スサノオもそうだけど,感情そのままに暴れまわるしなぁ…。
少し前には,上のセリフが私の笑いのツボにはまりすぎて,イラっとしたときに,上のセリフを思い出しながら,「怒りを司る神が下りてきた」と笑いとともに考えて,怒りとタンゴを踊るようにしていました。
怒りのコントロールが出来なくて,困っている人は沢山いますね。
子供に向かってしまう,好きな人に向かってしまう,困ったことに大切にするものに向かうのですよね…。
何とかするための取り組み,お手伝いしています。