ゲーテとカフカの対話から学ぶ人生の真理
こんにちは,玉井心理研究室代表 玉井仁です。今回は,少し前にも紹介させてもらった,頭木さんの著書をご紹介したいと思います。「絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ: 文豪の名言対決」(著:頭木弘樹)という本です。この本は,文学界を代表する陽キャ(ポジティブキャラクター)のゲーテと,陰キャ(ネガティブキャラクター)のカフカの言葉を対比させ,人生の様々な側面について考察を促してくれる,非常に興味深い内容となっています。
ゲーテは,ドイツの詩人・小説家・劇作家ですね。小説「若きウェルテルの悩み」などにより,シュトゥルム‐ウント‐ドラング(疾風怒濤しっぷうどとう)運動の代表的存在となり,シラーとの交友の中でドイツ古典主義を確立しました。有名な戯曲「ファウスト」もゲーテの作品で,小国の大臣まで務めた人です。
カフカは,チェコのプラハの小説家ですね。カフカは完成した作品の他に,手記やノート等に多くの断片を残しており,この本でもそれらから多く引かれています。
1. 「希望」と「絶望」の対話:二つの視点から人生を見つめる
本書の最大の魅力は,同じテーマについてのゲーテとカフカの言葉を見開きで対比させている点です。この構成により,読者は自然と自分の心情がどちらに近いかを考えることができます。例えば,こんな対話が展開されます。
ゲーテ:
「なんでそう深刻に,
世間のことで思い悩みたがるのか。
陽気さと真っ直ぐな心があれば,
最終的にはうまくいく。」
カフカ:
「すべてが素晴らしい。
ただ,ぼくにとってだけは,そうではない。
それは正当なことだ。」
この対比は,単に「ポジティブ」対「ネガティブ」という単純な図式ではありません。ゲーテの言葉は,困難な状況でも前を向く勇気を与えてくれる一方,カフカの言葉は,自分だけがうまくいかないと感じる人々の心の声を代弁しているようです。
心理学的に見ると,この「自己内対話」は非常に重要なプロセスです。自分の内なる声に耳を傾け,自己理解を深めることができるのです。また,この対話を通じて,読者は自分の感情や思考パターンを客観的に見つめ直す機会を得ることができます。
2. 共通点と相違点:二人の文豪の人生から学ぶ
興味深いことに,一見正反対に見えるゲーテとカフカですが,実は多くの共通点があります。両者とも裕福な家庭出身で,父との確執を抱え,本業は役人でした。しかし,その人生の歩みは大きく異なりました。
ゲーテは生前に『若きウェルテルの悩み』で大成功を収め,恋多き人生を送りました。75歳で19歳の女性にプロポーズしたエピソードは,その旺盛な生命力を物語っています。一方,カフカは無名のまま生涯を終え,幾度も婚約までしながらも,毎回のように自らそれを破棄するなど,結婚にも踏み切れませんでした。
この対比は,私たちに「成功」や「幸福」の定義について再考を促します。外見的な成功や幸福が,必ずしも内面的な充実につながるわけではないことを,二人の人生は示唆しているのかもしれません。
例えば,恋愛に関する二人の言葉を見てみましょう。
ゲーテ:
「あの人がわたしを愛している!
─そのときから,
わたしは自分自身に,
どれほど価値を感じられるようになったことか。」
カフカ:
「なんと言っても,
あなたもやはりひとりの若い娘なのですから,
望んでいるのは,ひとりの男であって,
足もとの一匹の弱い虫ではないはずです。」
ゲーテの言葉からは,恋愛を通じて自己肯定感を高めていく様子が伺えます。一方,カフカの言葉からは,絶望と恋愛に対してあきらめることをよしとする態度が感じられます。しかし,カフカのこの繊細な感性こそが,彼の文学作品に深みを与えたとも言えるでしょう。
3. 心の癒やし方:アリストテレスとピタゴラスの理論から考える
実はこの「対比」の手法は,古代ギリシャの哲学者たちが指摘した原理とも通じています。
アリストテレスの「同質効果」とピタゴラスの「逆療法」は,一見矛盾するように見えますが,実は人間の心の複雑さを表しています。
アリストテレスは「そのときの気分と同じ音楽を聴くことが心を癒す」と主張しました。これは,悲しいときに悲しい音楽を聴くことで,自分の感情を認識し,受け入れるプロセスを促進するという考え方です。これを,「アリストテレスの同質効果」と呼びます。
一方,ピタゴラスは「心がつらいときには明るい曲を聴く方が良い」と言いました。これは,ネガティブな感情を積極的に変化させようとする試みと言えるでしょう。これを「ピタゴラスの逆療法」と呼びます。
これらはどちらも正しいのです。つらい時には同質のものに共感を求め,少し落ち着いてきたら異質なものへと向かう。この流れが,心の自然な癒やしのプロセスなのです。
本書におけるゲーテとカフカの言葉の対比も,この二つの理論を同時に示しながら,今現在の読者自身の心の状態に応じて,ゲーテの前向きな言葉に励まされたり,カフカの繊細な洞察に共感したりすることができるのです。
どちらの言葉に惹かれるかを感じながら読むと,読んだその時の気分,こころやからだの状態について改めて実感することもできるでしょう。
4. 「ポジティブ」への焦りを戒める:カフカの言葉から学ぶ
現代社会では,常に「ポジティブ」であることを求める風潮があります。しかし,この本は私たちにその危険性を警告しているようにも感じます。カフカの言葉は,「ポジティブになれない」ことに苦しむ人々に寄り添い,そのままの自分を受け入れることの大切さを教えてくれます。
例えば,カフカのこんな言葉があります。
「僕は静かにしているべきだろう。
息ができるだけというだけで満足して。
どこかの片隅でじっと。」
この言葉は,一見ネガティブに感じられるかもしれません。しかし,ここには深い自己受容の姿勢が見られます。「今の自分のまま」という思いが,逆説的に心の安定をもたらすこともあるのです。
実際に,カフカはその状態を好んではなかったとしても,どうしようもなくポジティブになれない自分を,そのままに赤裸々に表現し続けたのです。最後には,結核になりますが,その結核という病気に支えられた,とまで言っているのです。
友だちの話しを一生懸命寄り添っているときに,ネガティブな話ばかり続き,少しも変化がみられないときに,「少し困ったな」と感じてしまうこともあるかもしれません。
心理療法の現場でも,クライアントの否定的な感情をそのまま受け止めることから始めて,それを変化させようと頑張らない態度が必要だと指摘されてもいます。なぜなら,変化させることに急ぐということは,そこで感じられているネガティブな感情は悪い感情だから離れなさい,というメッセージになってしまうからです。
変化よりも,その様に感じることはもっともなこと,そしてそれはあなた一人じゃない,というように感情が否定せずに受け入れられることで,次のステップへ,つまり真の癒やしと成長につながるのです。カフカの言葉は,そんな心理療法の本質を,文学的な形で表現しているとも言えるでしょう。
5. 個人的な感想:カフカへの共感と自己理解
私自身,この本を読んでカフカの言葉に強く共感する場面が多々ありました。例えば,カフカのこんな言葉です。
「孤独は,
ぼくの唯一の目標であり,
ぼくが最も心ひかれるものであり,
ぼくに可能性をもたらしてくれるものだ。
にもかかわらず,
これほどに愛しているものを,ぼくは恐れている。」
この複雑な感情の表現には,心が揺さぶられます。孤独を恐れながらも,そこに可能性を見出すカフカの姿勢は,現代を生きる私たちにも通じるものがあるのではないでしょうか。
特に,デジタル時代の今,我々は常に誰かとつながることができる一方で,真の親密さや深い関係性を築くことの難しさに直面しています。カフカの言葉は,そんな現代人の孤独感を鋭く言い当てているように感じます。
6. カフカ没後100年:現代に響く言葉
2024年6月3日で,カフカの没後100年を迎えます。『変身』などの作品で知られるカフカですが,彼の言葉は100年の時を超えて,現代の私たちの心に響いています。
カフカの作品に見られる微細な描写を行いながら「異常な事態に直面した人間を淡々と描く」という特徴は,人間存在の不条理さを浮き彫りにします。彼は苦しみをこそ自らのエネルギーとして,苦しみ続けることを選び続けた人でした。
この姿勢は,一見ネガティブに思えるかもしれません。しかし,人生の苦しみや不条理さを直視し,それでも生き続ける勇気を私たちに与えてくれるのです。
7. まとめ:バランスの取れた人生観へ
この本は,「希望」と「絶望」という二極端な感情を通して,人生の複雑さと奥深さを教えてくれます。ゲーテの前向きな言葉に勇気づけられつつ,カフカの繊細な洞察に共感する。そのバランスこそが,豊かな人生観につながるのだと思います。
人生観が陰陽どちらに傾いていようと,何かを真剣に見つめ,それを表現できたのであれば,それは充実した人生だったと言えるでしょう。ゲーテとカフカ,二人の文豪の言葉は,そんな気づきを私たちに与えてくれるのです。
最後に,この本の意義を改めて考えてみたいと思います。現代社会では,「ポジティブシンキング」や「マインドフルネス」など,心の健康を維持するための様々なアプローチが提唱されています。しかし,時としてこれらのアプローチは,ネガティブな感情を抑圧したり,無理に前向きになろうとしたりする危険性をはらんでいます。
その点で,この本は非常にバランスの取れたアプローチを提供してくれています。
ゲーテの言葉は,前を向く勇気を与えてくれる一方,カフカの言葉は,人生の苦しみや不条理さを認識し,それでも生き続ける力を与えてくれます。
心理学者として,私はこのようなバランスの取れた視点が,本当の意味での心の健康につながると考えています。ポジティブな感情もネガティブな感情も,どちらも人間にとって大切なものです。
というか,過去にも書いたことですが,ポジティブとかネガティブとかそれ自体が,人がそれらの感情たちに勝手に張ったレッテルに過ぎないのです。両者を受け入れ,バランスを取りながら生きていくこと。それこそが,真の「幸福」の道の1つなのかもしれません。
もし,このブログを読んで関心を持たれた方は,ぜひこの本を手に取り,自分の中の「ゲーテ」と「カフカ」に耳を傾けてみてください。
新たな自己理解と人生の洞察が得られる,なんて大きく考えずに,単に「楽しい」体験でもありました。「ここまでポジティブに言い切るか」とゲーテに対して,「ネガティブへのこだわりが半端ないな」とか不可に対して,感じるかもしれません。
そして,新しい気づきや楽しみは,より豊かで充実した人生への道筋を示してくれることでしょう。
玉井心理研究室が提供する心理支援
玉井心理研究室では,認知行動療法やイメージワークを用いて,トラウマから精神疾患,対人関係など広く心理療法を提供しております。
また,個人のみならず,組織における人事・メンタルヘルスコンサルタントとしてもお手伝いをしております。