心は生まれてからできるのだが…
先日、赤ちゃんが心を獲得していく過程を、簡単にまとめて書きました。
その中で、人は心を生まれて持ってくるのではなく、生まれてから人間社会の中で育てられていくにしたがって心を獲得していくのである、という話をしました。
そんな話し合いを、とある仲間内の勉強会で話していたときに、生まれながらに持っているものはないのか…という話になりました。
心の奥深くにある純粋な宝物
 心の奥深くには、育つ家庭で触れなくなっていった宝物が眠っています。
 それは、小さいころから苦しい環境で過ごした人たちの回復に付き合わせてもらう中で、一緒に見つけることが多いものです。
たくさん傷つけられても、決して傷つけられずに守られているのです。
私たちの殆どは、成長するに従い自分の心の奥深くに眠る、その宝物を感じることができなくなります。まるで、育てば育つほど、玉ねぎの皮が厚くなるように、その宝物を守るように触れない奥深くに眠っていくようです。
 時々、まるで分厚い雲の間から陽の光が道のように注ぐように、宝物からの輝きに触れることができる気がします。
 理由がつかないような好き・嫌いといったことも、その一つかもしれません。
 私たちが心と思っているものは、物事を判断する力とつながって機能しています。
 思考をあれこれ巡らせることのない動物たちの方が、この宝物を近くに感じられているかもしれません。ペットによる癒しも、それに触れているのか…?
 日々、心には塵やゴミがたまっていきます。その掃除を続け、心の宝物を近くに感じられるようになるよう、人は取り組むこともできるのです。
 マインドフルネスでいうダルマも、その宝物を指しているのでは…。
 人は、苦しみに追い詰められないと心理療法をなかなか求めません。
 ただ、ここで書いたような心の掃除のためにも使えるのではないかなぁと思っています。
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