あらゆるシーンでの音楽の存在
自衛隊の行進曲の演奏を聞きながら、どの国の軍隊行進にも音楽は不可欠だということに改めて思い至りました。
音楽の無い軍隊行進など見たことがありません。多数の人の統率をとることと、意気高揚のためでしょうか。
そう考えてみると、人間の生活のあらゆるシーンでも音楽は存在することにも気付きました。
結婚式のような祝いの席でも、お葬式のような悲しい場でも、音楽が必要です。どの地方に行っても、その土地に伝わる民族音楽があり、歌い継がれる童謡があります。音楽というのは何も、特別なものではないのですね。
音を奏でるということ
話は変わりますが、昔、ディズニーの古い映画のDVDを買って立て続けに見た時に、ある共通点に気付きました。
シンデレラも白雪姫もオーロラ姫も、周りの誰かから妬まれるほどの美しいお姫様ですが、その美しさの要素の一つに必ず「歌が上手なこと」が入っているのです。
ディズニー映画はミュージカル仕立てになっているのでそういう設定にならざるを得ないのかもしれませんが、日本の美しいお姫様が「歌が上手」だという設定になっているものは、あまり思い当たりません。
私が置かれていた環境からすると、音楽とは特別に勉強した人だけが、演奏したり歌ったりする資格を得るもののような錯覚を覚えました。
専門の教育を受けた先生に定期的にレッスンを受け、日ごろの練習を積み、周りから評価された人。
私の場合、定期的なレッスンを受け練習に励むまでは頑張ったのですが、周りから評価される、という点はなかなか叶いませんでした。
というよりも、人前で演奏するということは恐怖と苦痛でしかなく、褒められる、喜ばれる、評価されるなんて考えには及びませんでした。
でもそれは、音楽の本質とはかけ離れた、間違った考えだったのかもしれません。
確かに私の周りではそういう考えを持った人がたくさんいたのかもしれませんが、そんな人たちの考えに私が過度に委縮しすぎて、音楽に対する凝り固まったイメージを作り上げてしまったのかもしれません。
人間と音楽のつながり
特別な才能を与えられた人は、その才能を生かして、演奏で身を立てていけばいいと思うのですが、そうでない人も、音楽に垣根を作らずに、自然にそこにあるはずの音楽に溶け込んでいけばいいと思うのです。
人間の生活のあらゆるシーンに音楽が存在するということは、音楽が人間の感情から生まれ、人間の感情そのものであり、だからこそ、嬉しいときはより喜ぶことができ、悲しいときは慰められ、士気を揚げなくてはならないときは盛り上げてもらうことができるのではないでしょうか。
そしてそれは、聞くばかりではなく、たとえ上手ではなくても自分で演奏してこそ、感動も大きくなり、癒されていくのだと思いました。
自分の心の垣根も・・・
今、私は子育ても一段落し、最近もっぱらコーラスの伴奏をする機会が増えました。
コーラス指導者と一緒に音楽を作り上げ、私の伴奏に感動した、と褒めてもらえることも時々あります。
音楽の世界の末端でも、曲を追求し演奏することで人に喜んでもらえ、そのことで自分も充実感を得られることで、今まで音楽を続けてきて良かったと思えます。
そしてもっと音楽を身近に感じ、癒しに繋げていけるといいな、と思います。
明後日、12/16の月曜日は、当研究室のミニワークショップ、「インナーチャイルドとの対話」があります。これも、音楽を自らの中に奏でるひと時、お待ちしています。
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