評価を必要としない日本
日本は、基本的に評価をする、という姿勢が弱いらしい。
誰が優れている、誰が劣っていた、そんなことを明確にしないほうが良い、という学習のスタイルもあるのでしょう。
アメリカなどは、徹底的にすべてを評価して、誰が評価をしたか、といった評価機構もしっかりしていたりします。
例えば商品でいうと、日本では良いものをどれだけ安く売るか、という姿勢が強いので、無印“良品”が注目されます。一方、アメリカなどは無印は“悪品”が殆どとのこと。だから、評価されたものでないと危ない、と。
なるほど、と思いました。
文化が学校教育に与えている影響
1999年の研究報告で、「日米の算数授業(5年生分数)における教師の評価」(稲垣・森田・波多野) というものを目にして、とても面白かったので、この先生方には申し訳ないのですが、すごくざっくりと一部だけ紹介します。
簡単に言うと、アメリカと日本の先生の子供への接し方を比べているのですけど、アメリカでは、子供の答えが間違っていると「それは間違い、説明したように…」と解説します。すごく直接的です。
日本では、同様に間違いがあると「それはどのように導いたのかな、皆さんはどう思うかな」と皆の意見を引き出す形で、正誤を直接的に指摘せずに他の生徒からの意見を引き出して評価させたり、間接的な評価に留まることが殆ど。
お互いの様子をみて、あまり目立ちすぎず、出る杭は打たれるから注意しつつ、和を重んじて皆で力を合わせることが得意、日本、これは文化ですね。
ちょっと前のことになりますが、運動会で皆で一緒にゴールする、というわけのわからない話を耳にしたことがありますが、それはその最たるものでしょうか。
きっと、親が求めるんでしょうね。
別に、得手不得手があって当然なのですから、何が苦手で何が得意なのか、はっきりさせていった方が良いと思いますけれどね。
そして、その親に影響された子供は、皆が平等に…なんていうのでしょうか。
自由を捨てるしかないけれども…。
そのバランスが難しい。それには、何が正しいではなく、文化や歴史、そして社会状況の要請など、様々なことが絡み合っていくのでしょう。
だから、日本はCOVID-19の対策も、なんとなくうまくいったのかな。
麻生副総理が「日本の民度が高いからだ」と言っていましたけど、基本は本当にみんなで力を合わせる、真面目なんですよね。とても。
それはそれで素晴らしいこと。
それを恥じるように感じなくてよいのです。
私など、人から何か言われるのが嫌いで自分でいろいろやってみたくなるなど、少しひねくれているところもあると自覚していますけど、それでもやはり皆と一緒に、ということにあこがれる時もありますからね。
そんな私も、日本人です。
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