A.グッゲンビュール₋クレイグ
心理療法において、深層心理学を扱う流派の一つに、ユング派がありますね。
先日、その代表的なかつてユング派の聖地のようなユング研究所の所長まで務めた人、グッゲンビュール-クレイグの著書『結婚の深層』を読み始めたという記事を書きました。本日は、その続きです。
結婚の目的
結婚の目的として、「個性化」がなされるのであれば意味があるが、そうでなければ結婚に固執する必要はない、というのがその主張です。
“個性化”とは、ユング派の言葉なのですが、自己実現、つまり自分が生きていて十分に自分を生きている、という実感を持てるようになることとでも言いましょうか。
この本自体は少し古いのですが、実際に本で指摘されたことが現実になっています。離婚をひたすらに止める結婚カウンセラーを複雑な目で眺め、本当の人生を探求するのであれば、結婚を維持することにこだわりすぎる必要はないとも言い切ります。
また、結婚しない人でも、子どもを持つというような社会的に結婚という呪縛を解く必要があるのではないか、ということは多く主張されています。
確かに、現在もそのような主張は多くありますね。一方、結婚を通して学び、成長していく人も少なくないので、結婚は単なる呪縛である、とは言い切れない面もありますね。
性と結婚
また、性についても多くページが割かれており、性的な活動を通して“個性化”に進む例もあると述べ、性がキリスト教などの下で、結婚外では悪いもの、といった風潮に対して警告しています。
これは、現代は言うまでもなく、ある程度の自由がありますね。
人の持つ性的想像は創造的であり、多分誰にも言いきれないほどのものであり、その一部はマニアックなものとして日の目を浴びてはいるものの、それらは自然なものではないとみなされすぎている、ということを指摘しています。
性を種の保存のためという生物学的なものに帰属させようとしすぎることは間違いであり、それ自体が難しい問題を伴うが、人にとってより深い世界を開いている側面もある、ということを指摘しています。
なるほどなぁ、と深く首肯しました。
結婚や性生活など、タブーとなっていそうなことを取り上げ、それらに対して何が正しいというのではなく、ただしっかりと見つめ、自分にとってそれらは何なのか、向き合うように問うているのです。
まさに、この本は心理療法について書いた本ではなく、この本を読むこと自体が心理療法を受けることだ、という意味がよくわかります。
あきらめを超えて
フロイトが多くの欲動の基礎に性欲動を位置づけ、その固執によってユングは離れたとも言われますが、改めてフロイトの偉大さがよくわかります。ユング派は、物語やイメージを大切にしますが、フロイトの言及も人間の生き方の物語と捉えると、とてもすっきりすることがわかりました。フロイトは、大きくて精緻な物語を書いたですね。
人は、性的欲求を様々な形に変えて生きている、という物語です。
グッゲンビュール-クレイグはその著の中で、何かを成し遂げるために、ここでは“個性化”を成し遂げるために、何かをあきらめることが役立つことも多いと指摘しています。
それは、苦難の道を超えた先に獲得する、喜ばしい実感ではあるのでしょう。これは、著者によると、幸福とは必ずしも一致せず、救済であるとされています。
人にとって、仕事であったり、スポーツであったり、その他何でも一生懸命続けていく中で、乗り越えてたどり着く世界があるわけで、それも一つの自己実現なのでしょう。
何かに励むということは、何かを犠牲にせざるを得ません。体が一つしかないので。
“個性化”を追求することは、“幸福”を追求するのとは異なると言われます。
人は、幸福の中に過ごすと飽きてしまいます。自分を十全に生かしている、その実感は、ぼんやりと幸せだぁ、というのとは異なるのですね。それをこの本では“救済”と呼んでいます。その取り組みとして、ユング派では「意識する」ことを重視します。
能動的に意識することで、選択の結果に責任を取り、現実世界又は内なる世界を充実させていくのでしょう。
この部分だけ切り取ると、認知行動療法と大変に似ているグラッサーという心理学者が提唱した『選択理論』を思い出して、似ているじゃないか、と思います。
何が正しいのではなく、どのような生を生きるのか、それを尊重して進めるお手伝いをしていくという姿勢ですね。
それはまさに、心理療法です。
ユング派と認知行動療法は、随分と違うもののように感じられる人も多いと思われますが、認知行動療法の専門的訓練を受け、かつ改めてユング派の学びを確認している私としては、似ているところも多いのだなぁ、と感じています。
私自身、認知行動療法を実践しつつ、他のアプローチも折衷的に進めていますが、この類似点と相違点について、考えたことをまた機会があれば書いてみたいなぁと思います。
夢と認知行動療法
認知行動療法も、無意識を否定していませんね。無意識に触っていこうとはしませんが、感情を辿る作業を通して無意識に触れるというイメージを持っていますからね。
また認知行動療法は、人の平均的なところをゴールとするところは多いけれども、最終的には個人の感覚に帰するのですから、大きな違いはないと言えましょう。
ただ、認知行動療法では夢を扱う技法は聞いたことがありません。私も夢について話し合うときには、認知行動療法ではないかなぁと感じていますから。
夢もとても面白いものですけれどもね。
私も日々夢に問うています。
そして、カウンセラーが認知行動療法を用いているときと、ユング派がカウンセリングを行うときでは、イメージするものはどうしようもなく異なりますね。
自己実現の道は、無限にあるのです。