「レッテルを貼らないで、ありのままの自分を見て欲しい」そんなことを言いたくなったことがある、という人もいるでしょう。
俳優さんや芸人さんのように、素の自分を出すというよりも、あるキャラクターを演じて生きる人もいます。特定のレッテルを自分に貼り、それをみんなに認識してもらうことを狙っています。
レッテルの良し悪しありますね。実際に、レッテルとまでは言わないまでも、レッテルのように、○○の人は△△だ、というようにある程度あたりをつけることは避けられません。
泣いている人に対して、 「よお、元気」と声をかけるのは自然なことではなく、 「悲しいことがあったのかな」と想像することは自然なことです。これはレッテルとは言わないかもしれませんが、その極端な一例でしょう。
そして人は、「自分は○○だ」といったアイデンティティを確立していくと言われますが、これもある種のレッテルを獲得する過程、ということも言えるでしょう。また極端な例ですが、虐待を受けて育った人が、心深くで「私は存在する価値がない」という言葉で表されるような感覚を抱き続けている、ということはしばしば出会います。心理療法ではその感覚から自由になるお手伝いをしていくのです。自由になって行く過程で、「私は被害に負けずに生き抜いたんだ」そして「大変なことがあったがそれは今となっては過去のことだ」というような自分に対する新しい感覚を獲得していきます。
レッテルは、人から完全に切り離せないものです。ただ、そのレッテルがその人、もの、組織など存在するものの全てを表さないことを理解し、様々な可能性や側面があることを思い出したいものです。そして、自分の存在自体にも新しい側面を探究していきたいものですね。