先日、先行く仲間が自分の臨床歴を振り返り、その中での学びや体験の一部を共有してもらう時間を持つことを企画し、じっくりと聴くことができた。
文書で作られているものを見ると、すぐに終わってしまうものをじっくりと呼んでもらい、それに耳を傾け、その声の揺らぎを聴きながら、感じるところを確認するように辿っていく。
子供の頃の決断を、幼児決断と呼びますよね。これは、、交流分析で使われている言葉かな。「生きていくうえでその子供時代には必要だったけれど、今では役に立たない信念や行動規範」と言えばよいのかな。認知行動療法でいうところの、スキーマを形作る「意志」でもある。子供時代の「意志」であるが故に、大人になってそれを確認すると、悲しみも伴う感じがする。
その仲間は、心理臨床を続ける中で沢山の困難に直面した。その時は大変に嫌で仕方がなかったと。ただ、その苦労を逃げることは考えなかったらしい。「何故」と聞くと、20歳過ぎでこの道を歩むことを決めたから、とのこと。再決断も、再々決断もあるが、その決断を守ろうとすることには大変なエネルギーが必要となる。
決めたことを守り続けるためには、多くの努力と意志の力を払い続け、大変さを乗り越えないといけない。大変だからといって、そのことをどうだっていい、というのは物理的な支障がない限りは、いい加減になってしまう。いい加減になると、困難な状況に耐え、踏みとどまる力がつかない。そしてそれは、問題を乗り越える力も生み出さない。
結婚など、気軽に始まり、気軽に終わることも見かける。関係によっては、さっさと終わらせた方が、お互いのその先の時間にとってよいものもある。明らかに害があるのに、それに耐えるのはお互いにとって害が大きくなるだけである。
その時間を通して、自分が守っている「決断」を振り返ることができた。良い決断は、それを守ろうと意志を持って続けないといけないのです。時に、それをどうでもいいと思うことがあっても、結果としてその決断をひっくり返さずに守っていくのである。まるで、出家したお坊さんが仏陀を信じて生きようとする生き方を守ろうとするがごとく。
どうでもいいや、ちょっと手を抜こうと思っていた今日この頃、なかなか重い言葉でした。^-^