久しぶりに、考え方のクセのお話をしましょう。
例1:職場である人にあいさつした時に、返事が返ってこなかった体験から、「私、皆に嫌われているのかな」
例2:初めて待ち合わせをする人が遅れてまだ来ていないとき「○○さん、約束を守れない人なんじゃない」
例3:パソコンでうまくやりたかったことができなかったときに、「本当にパソコンって難しいよね。専門家でないとできないよ」
いくつかの例を出してみましたが、今回の共通点は、1回のちょっとした体験から、その時だけではなく、その体験を一般化してしまう、というものです。「過度の一般化」と呼んだりしています。
このクセは、多くのネガティブな出来事に当てはめられることがありますが、時々、その正反対の例もあります。
例4:「バレンタインデーでチョコ一個もらったんだよね。実は、世の中の女性は皆僕のこと好きで、チョコあげたいんじゃないかな。恥ずかしいからそうはできないんだろうけど…」
見事な大勘違い。でも、害がなければよいですかね。
こんな「過度の一般化」ですが、過度でなければ普通のことです。 さまざまな事実や、事例から導き出される傾向をまとめあげて結論につなげる論理的推論方法を、帰納法と呼びますよね。私たちがものを考える時に、一つの事象ではなく複数の事象から一般化しながら、「あーなるかな」「こーなるかな」と想像しながら行動しているのです。
この一般化する能力がなければ、かなり厳しいことになりますよね。その時の一つ一つを大切にする、と言えば聞こえは良いのですが、毎回全エネルギーをその理解に注ぐのであれば、効率が悪すぎます。
昔、マンモスをつかまえていた時代だって、「前にあの場所で見つけたぞ」という情報を元に、その場所から追跡を始めるのです(多分…)。
いつもながら、ほどほどのバランス、これが難しいんですよね。