認知行動療法では、心理教育を大切にします。そのことについて、少し触れてみたいと思います。
この数日、このブログでも「感情の意味」といったテーマで幾つかの感情を取り上げてきました。実は、これも相手によっては心理教育の1つとなることもあります。
心理教育とは、相談を受けている人の考え方や感じ方に応じて、違った視点や感じ方へと広げていく取組みです。つまり相談の場面において、相談者が持つ不自由で囚われた考え方や感じ方に対して、新しい視点や感じ方を本人が受け取りやすい形で提示しながら話し合うことで、それまでとは違った世界へと拡げるのです。
心理教育は認知行動療法の専売特許ではありませんので、多くのアプローチで行われています。
心理教育がうまく進むと、それだけで相談者の世界は変わることがあります。単なる知識の提供にとどまりません。支援者が知識の提供で終わっている段階は、次の段階であるその知識に対するの話し合いが待たれます。もちろん、相談者は新しい知識も求めてくることがありますし、それに応じることもありますが、その知識をどのように感じたのか、考えたのか、そんなことを話し合うことから、沢山のことが生まれるのです。
ある方は、怒ることは悪いことだと教えられたと思ってきたので、怒りを感じる自分を否定していました。別の方は、自分の弱いところを人に見られるのは格好悪いことであり、もしその弱いところがばれてしまうと嫌われるに違いないと考えて、調子が悪いときには皆と距離をおき、家族や恋人にも自分の素を出すことを警戒していました。本当に親密さは、弱さを共有し助け合うことで体験できる、ということを頭の中だけでなく感覚のレベルでも学ぶには少し時間がかかりました。
認知行動療法では、これが「正しい」考え方ですよ、という提示の仕方はしません。「楽」を感じるのは人によって異なるので、それを一緒に探していくのです。
心理教育について書くつもりが、心理療法の進み方についても少し触れているようです。心理教育もその一環ですから、ご容赦ください。また少しずつ、書いていきます。