子供への性暴力
朝日新聞の2019/12/04の社会面30頁で、表記のように「子供への性暴力 ~語り始めた当事者~」という連載記事が始まっていました。
教えてくれたのは、ご自身も同様の被害にあってきた女性の相談者でした。
過去が勝手によみがえっては苦しくなり、乗り越えようと振り返ろうとしては実際に体が反応して拒絶して吐いてしまう、そんな苦しさを乗り越えつつあるのです。
この記事の女性は、「Thrive」という自助グループを始めているとのこと。
私もいろいろな自助グループにうっすらと関わってきましたが、そのような活動や意識が広がっていき、「卑劣な行為はいけない!」ということが普通に言える社会にしていきたいですね。
児童虐待の防止強化のための体罰禁止のガイドライン
さて、上の記事の右に視線を動かすと、もう一つ興味深い記事がありました。
厚生労働省では、来年施行の改正児童福祉法などに「体罰禁止」が明記されたことを受けて、どんな行為が体罰が禁止になるのかのガイドラインを作成中で、その一部が公開され、これからパブリックコメントを求めるとのことです。
法律で暴力を防止しよう、それ自体は理解できるしメリットもあると思えます。
確かに、最近はひどい虐待のニュースもあふれているので、日本はどうなったんだと思う人も多いのかもしれません。
それでも、やはり日本人は真面目な人が多いし、ルールに従おうと気を付けて、感情的にならないようにするのだろう、という良い面もあるのでしょう。
もともとの規制の趣旨も、罰則を強化するというよりも、啓発や支援・教育を社会的に強くしていくことを目的にしているのですから。
ただ、その規制の理解が正確ではなく、体罰を気を付けて感情を過剰に抑制するということに繋がるということを想像してしまいました。その場合、デメリットとしての親子の感情、つまり自然な情緒的な交わりがどの程度阻害されるのだろうか、心配になってしまいました。
この体罰防止の記事は、上の虐待と同じページ、その真横に大きく並んでいたのです。それが、またこの情報を私の中で浮き上がらせました。
法律は人間の暴力性を規制できるのか
教師による子供に対する暴力は、随分と前から注目され、その禁止が声高らかに唱えられてきていました。
上の性虐待のケースは、高校教師による生徒への性搾取であり、とても卑劣なものでした。
どんなに法律で定めても、事件が0にはならないように、人間の暴力性が0になることはありません。
時に、その暴力性は禁止されることにより、より陰湿になっていきます。
自らの暴力性をよく理解し、それを制御するすべを身に着けている人は、安全な人でしょう。しかし、そのような人は思いのほか少ないのです。
私も、人の心の中に深く入り、ともにその暴力性を確かめ、手なずけていく過程を共にすることがあります。誰にも、それはあるのです。
この完全なる正解がない問題の最適解は、時代や文化によっても変化するのでしょうが、最新の研究はどうなっているのだろうか。
玉井心理研究室のメインホームページ、ほかのブログもご覧いただければ嬉しいです。
最新の研究はどうなっているのだろうか。私も知りたい。