隣に座っている人と話していて、忘れたいけれども忘れられない、ということもありますが、忘れたくないけれども忘れられずに繰り返し失敗をしてしまう、ということについて話していました。
一つのことを忘れずに考え続けること、つまり注意の集中を一つのことに維持することは日常生活を送る上ではかなり難しいことです。時々、気合と根性だ、という人もいますけど、これはちょっと期待できません。気合も根性も意味がある場面も必要な場面もあるでしょうが、全てが気合と根性で済まないのは、皆さんもご存じのとおりです。
アニマル浜口も、「気合いだ!」というのが多かった人ですが、無理なことに対して「気合いだ!」ではなく、もう一息頑張ればその山を登れるぞ、という時の一押しとして叫び続けたのだと思います。
これ、実は難しいですよね。啐啄同時(そったくどうじ)のようであれば、見事な支援になるのですが、その見極めが難しい。「啐啄同時」この言葉は、鳥の雛が卵の外へ出ようと殻を内からつつくことを「啐」、母鶏がそれに応じて殻を外からつつくことを「啄」といい、両者が一致し同時であってこそ雛は誕生することができる、ということを述べているのです。そのタイミングが一致することのすごさ、狙ってできることではないですね。ユングのシンクロニシティという言葉も思い出されます。
狙っていくのであれば、ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」が近い概念でしょうか。発達の最近接領域とは、子供の教育上で、子供が自分でできることを教えても仕方がなく、教えてもわからないことを教えても時間がかかりすぎ、教えてあげるとぐっと伸びる領域の事柄を教えるとよい、ということだったかと思います。啐啄というほどの瞬間ではないけれども、そんな理想を掲げつつ、現実的には最近接領域を狙う、ということがよいのでしょう。
おっと、完全に脱線しました。
忘れたくないことを忘れないために、皆さんはどんな工夫をしているのでしょうか。寝る前に、「明日は〇時に起きます。無意識さん、よろしく」と自分に声をかけて寝る人もいますが、自分が思い出したいタイミングで、思い出すように無意識に念じても、意識している日常の中では無意識のようなうっすらした力を難しそうですよね。そうか、まずは目覚ましのような工夫ですね。あ、また無意識について脱線しそうだ…。
結論にキレがありません(-“-)。今日はここまでにします。
こんばんわ
しょっちゅう失敗して指摘されてます!
月に1度しかやらない仕事はすっかり記憶から抜け落ちてしまいます
長期記憶に残せば良いってことですか?しょっちゅう思い出すようにして使う知識にしてしまえばいいのですかね。
先日、子どもたちにダンスを教えなくてはならなくなり、それこそ気合で何度も繰り返し動画を見て完璧に覚えることができました!楽しいことは案外頭に入りやすいけど、難しいことはね‥苦手だ!
失敗したときの笑ってごまかす大人の逃げわざに磨きがかかります;
気合いで集中することは、結果に繋がりやすいですよね。
適度に追い込んで感情も昂りますから。
以前、忘れ物をしやすい方が、ものの置き場所を決めるだけで、
随分問題が解決したという話を聴きました。日々のことの場合には、工夫なんでしょうね。