箱庭療法
箱庭療法や、風景構成法など、個人の中のイメージを表現して、そのイメージを安全な枠組みの中で展開できるようになると、人は健康になるのですね。
まるで、便秘の人にすっきりお通じが来るように、詰まっているものが出されて楽になっていくのでしょう。
箱庭療法は、心理検査としてではなく心理療法として機能しています。
風景構成法は、心理検査の要素が多くありますが、それ自体の治療的効果も指摘されているとおりです。
残念ながら、玉井心理研究室では、箱庭療法の道具を準備できていないのですが…。
自由がよいわけではない
自己表現を自由にすることが、人を楽にするのかと思いきや、必ずしもそうでもありません。
怒っている時にも、怒りを示す作法がありますよね。作法を超えて暴力的になるのは、結果として自分の自由を奪います。例えば、極端な場合には警察の厄介になったり、そこまでいかなくても罪悪感に囚われたりと…。
自由を満喫するには、ちゃんとその自由の限界を示す安心できる枠組みが必要なのです。
何でも自由にしていいよ、となると人は不安を感じるものなのです。
食事に行くときに、「今日は何を食べようか」と言ったときに、「なんでもいいよ」と言われると困りますよね。もちろん、自分が具体的に食べたいものがあって、対人県警に配慮して聞いたのであれば、内心「よっしゃ」と思い、「じゃあ…にしよっか」と言えるのです。
その後で、「えぇ、それは…」と言われると、「何でも良くないじゃないか」とがっかりしたり、腹立たしく感じる人もいるでしょう。
自分を感じ、理解する
そうはいっても、多分「何でもいいよ」といった人も悪意があるわけではなく、その人が自分の内なる声を聴けていなかっただけなのですね。
自分の欲求を理解することが難しい人は少なくありませんからね。
元気だと思っていた時に、「疲れているんじゃない、休んだら」と言われて少し休むと、「めちゃ疲れていることを自覚したり…」と。
自分を理解する枠組みを持てるとよいですね。
言い方を変えると、自分の調子が悪いときには、自分がどうなる傾向があるのか、をしっかりと理解すべく、振り返っておくことは必要でしょうね。
うーん、乱文ですね。すみません。