トラウマへの身体状態への理解 身体の興奮の亢進と解放
5日連続で身体感覚を取り上げてきました。今日は、「震え」です。これ、書きたかったんです。
震えについて、考えてみましょう。小さい子供が大きな犬に吠えられ、震えて泣いているとします。ただ、その経過をゆっくりと辿ってみましょう。私の想像では、子供は犬に気がついて驚き、その時には犬を前にして泣き出しているというよりも、犬を前にして涙を目に浮かべつつ、必死感一杯になって、戦う訳にもいかないし走って逃げたいけどそれも怖いから、周りの大人を探してじりじりと犬から離れていき、ようやく安全な人のところに辿りついて泣き出せ、震えている、というのが多いと思います。
つまり「震え」は、本当はすぐに走って逃げたかったけどできなかった、大声で助けを呼びたかったけどできなかった、体の中で興奮状態が高まった、そんな自然な防衛反応を行動に移すためのエネルギーが身体に残ってしまっており、その未完了な状態になって体に残ってしまっているエネルギーを解放しようとしているのです。つまり、身体がその未完了な感覚を完了させようとしたり、興奮を解放して落ち着いた状態に向かうためのする、身体の健全な反応だということなのです。
「もう怖くないんだから泣かない。ちゃんとしなさい」「震えるなんて弱い子だね」などと、自然な解放が妨げられるような働きかけがあると、未完了の状態が続きやすくなり、未完了となった体の状態はそのエネルギーと共に準備状態として体に残ります。ある種の興奮状態が身体の中で抑え込まれている、ということです。この例は、ちょっとしたことですが、実はトラウマも似たような状態なんです。
だから、そんな大切な震えを抑え込んだり、そんな震えを弱いこととしてしまうと、健全な作業を止めてしまい、未完了な状態のままに残してしまうことになります。そして、未完了な状態は体の準備状態として保存されてしまい、過剰に犬を怖がり続けたりするなど、不適切な行動を維持することになってしまうのです。「震えるほど怖かったんだね。体も頑張ってくれていたし、今もそうなんだね。震えが鎮まるまでゆっくり待っていよう。」と言って安全を伝えてあげたいですね。そのようにして、震えは自然に終わるまで進ませたいものなのです。
私も、過去に何度も体や手が震えるような体験を重ねました。嫌だし怖いけど逃げられないなと思って取組み、それが無事に進んでいった時、腹が据わった頃に震えを体験することが多かったな、と思い出します。昔は怖かったからかな、などという理解で終わっていたのですが、その自分の身体感覚として未完了のことが終わろうとしているという理解と感覚に辿りつき、その実感を持てた時には、感動したものです。時にそれが過去のことと絡んで、という場合もあります。
身体に残った未完了な防衛反応は、いつも震えとしてその完了に向かう、ということではないようですが、やはり「震え」という形を取ることも多いようです。
もう1つの震えについても、コメントしないとフェアではないですよね。緊張のあまり震えてしまうという場合などです。これは、事がらの前に生じているので、未完了な感覚が残っているのではありませんよね。上述の子供が、怖くて苦手にしている犬に餌をあげる練習をする、などという場合の武者震いのようなものです。この場合には、震えることで体温をあげたり興奮状態を高めることで、生命の危機や不安に備えるための生じている、という説をみつけました。なるほど。震えで興奮を高め、震えで興奮を解放する、その違いを体感として理解していきたいものです。
震えないようにしないといけない、震えるのは怖いこと、などと言わずに、生命の維持を助けようとしてくれているものと大切にしましょう。適切かつ安全な形で体の深いところから来る震えを感じ、終わっていないものを終わりにしていきたいものです。
今回の「震え」というテーマ、身体感覚とは少し異なるのでは、という人もいたかもしれませんが、ご容赦ください。未完了な感覚が終わっていく際に、震えや他の身体感覚や体の動きを伴っていった、ということがある方からのコメントもお待ちしています。