今回で表題の3回シリーズの最終回としておきましょう。
前回までのところで、ナルシシズムについて、そして被害者意識とのつながりについて述べ、それらは乗り越えられることが求められている、ということを述べてきました。
もう少しだけ、ナルシシズムと被害者意識についての話を拡げておきましょう。ナルシシズムの反動として生じやすいこと、です。
拒絶の対象に打ち負かされてしまうと、自分の衝動調整が難しくなります。それは大変に困難な状況です。そんな時の1つの対策として、投げやりになるという対策があります。そしてその時には、自分の被害者意識は正当化され、より自分を満たされていない人と認識して、他者との関係は不健全なものとなっていくのです。
これはニヒリズムです。「何をしたってわかってもらえないんだから、どうだっていいや」「頑張る意味なんてないよ」などと言って、頑張って拒絶された対象を見つめる努力、拒絶したくなることを理解して受け止めようとする努力をやめるということです。
このニヒリズムは、日本人の好む発想の「無」「無私に至る」といった発想と異なるのですが、似た要素もあり、日本人が陥りやすいものかと考えています。ただ、外国人にも見かけることですけれどもね。
ナルシシズムを意識する、一方でニヒリズムに陥らない、そのバランスの難しさ、それもまた、心理療法の中で探し出していく人をたくさん見かけます。感情は、快か不快を感じるのであって、ちょうど良いを感じるのは意識しないとできないのです。
8月に入り、暑い日が続いています。ご自愛ください。明日はまた違うテーマで進めます。