ナルシシズム(自己愛)

ナルシシズムと被害者意識②

 昨日の内容から続きます。

 昨日は、衝動性の話とナルシシズムのつながりを少し述べました。

 では、被害者意識についても少し考えてみましょう。「わかってもらえていない」「私ばかりこんな対応をされる」「あの人に嫌われている」「人から大事にされていない」「私がこんなに大変な思いをしているのに誰もわかってくれない」そんな意識のことです。

 多かれ少なかれ、そんなようなものがふと頭をよぎることは、自然なことかとも思います。ただ、そんな考えを信じてしまうか、それともその考えを乗り越えていけるかどうかによって、大きな違いとなります。

 最近は、臨床場面だけではなく、日常の生活の中でもこの被害者意識なってしまう人々をよく目にします。当人が本当に頑張っているのはわかることもありますし、そのことは素晴らしいと思うのですが、ちょっとしたボタンの掛け違えや表現の仕方が極端である場合に、頑張りが評価されないことで否定感が強くなってしまい、拒絶の対象が生まれてしまうようです。しばしば、過去の経験と重なっていることも観察されます。いずれにせよ、とても残念なことです。頑張ったことまでなかったこと、になってしまうこともありますから。この時、拒絶の対象が生じているときに、ナルシシズムに囚われている、という言い方ができると思います。

 臨床の取組みでは、わかってもらえないことを分かってもらうように他者に働きかけることよりも、どのように自分の中で落としどころを探るのか、まさに相談の中で一緒に探すことも多い作業です。自分の表現のスキルを練習することもあります。

 実際に、許しがたいことにさらされてきたにもかかわらず、そのことをよいこととはしないままでも拒絶せず、その事実を認め、自分や相手のその当時の限界を認める作業、そしてそのことを乗り越えていく自分を作っていく、素晴らしい成長の物語です。 もちろん、実際にひどい被害にあったにもかかわらず、しばらくの間はその被害の中で嘆き悲しむ時間を送りながらも、それでもその意識の中に居場所を見出さず、現実の世界で社会運動などに結び付けて、力を発揮している方たちもおられます。 本当にすごいことだと思います。

 ナルシシズムはしっかりと見つめられ、乗り越える必要があるのです。私も、一歩一歩、進みたいものです。

心が楽になり、前向きな人生を送るためのカウンセリング

カウンセリングや心理療法に行く、そこに何かハードルを感じて「占い」に足を運ぶ人もいます。

私たち心理士が行う支援はどのようなものか、皆さんに分かってもらえる努力が足りないのでしょう。

ある団体で、職員全員とお会いする機会があるときに、問題があるとかないとかに関わらず、自分の性格とストレス時の心の動きについて話し合うことがあります。気持ちを調整するための”心の筋肉”を鍛える方法を共有するためです。

ある方はおっしゃってくださいました。

「何回も相談に来ました。決して安くはなかったけど、人生が変わったので、大学に行くよりはるかに良かった」

少しはお世辞もあったかもしれないけれども、本当にその方の生き方が変わっていくのを目の前で見させて頂き、私の心も震えるぐらい感動しました。

私たちは、一生懸命にクライエントさん(面談に来られた方)の話の全てに耳を傾け、ひたすら聴き、何がおこっていて、どうすればよいのかを一緒に考えます。

ただただ、皆さんの心を整えるために、ベストを尽くそうと学び続けています。

こんなことでも良いのかな、という場合には、お問い合わせフォームからご相談ください。

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