昨日の内容から続きます。
昨日は、衝動性の話とナルシシズムのつながりを少し述べました。
では、被害者意識についても少し考えてみましょう。「わかってもらえていない」「私ばかりこんな対応をされる」「あの人に嫌われている」「人から大事にされていない」「私がこんなに大変な思いをしているのに誰もわかってくれない」そんな意識のことです。
多かれ少なかれ、そんなようなものがふと頭をよぎることは、自然なことかとも思います。ただ、そんな考えを信じてしまうか、それともその考えを乗り越えていけるかどうかによって、大きな違いとなります。
最近は、臨床場面だけではなく、日常の生活の中でもこの被害者意識なってしまう人々をよく目にします。当人が本当に頑張っているのはわかることもありますし、そのことは素晴らしいと思うのですが、ちょっとしたボタンの掛け違えや表現の仕方が極端である場合に、頑張りが評価されないことで否定感が強くなってしまい、拒絶の対象が生まれてしまうようです。しばしば、過去の経験と重なっていることも観察されます。いずれにせよ、とても残念なことです。頑張ったことまでなかったこと、になってしまうこともありますから。この時、拒絶の対象が生じているときに、ナルシシズムに囚われている、という言い方ができると思います。
臨床の取組みでは、わかってもらえないことを分かってもらうように他者に働きかけることよりも、どのように自分の中で落としどころを探るのか、まさに相談の中で一緒に探すことも多い作業です。自分の表現のスキルを練習することもあります。
実際に、許しがたいことにさらされてきたにもかかわらず、そのことをよいこととはしないままでも拒絶せず、その事実を認め、自分や相手のその当時の限界を認める作業、そしてそのことを乗り越えていく自分を作っていく、素晴らしい成長の物語です。 もちろん、実際にひどい被害にあったにもかかわらず、しばらくの間はその被害の中で嘆き悲しむ時間を送りながらも、それでもその意識の中に居場所を見出さず、現実の世界で社会運動などに結び付けて、力を発揮している方たちもおられます。 本当にすごいことだと思います。
ナルシシズムはしっかりと見つめられ、乗り越える必要があるのです。私も、一歩一歩、進みたいものです。