心理検査を通して見えてくるもの
最近,WISC(ウェクスラー式子供用知能検査の一つ)の勉強をしています。
随分と久しぶりに触れた心理検査です。
仕事で触れておいた方がよいため,テストを借り出して,家族やその周辺の人で取りまくってみました。
詳しい人からも教授いただき,いろいろと考えさせられました。
心理検査は,自己理解を深め,他者理解を深め,自他に思いやりを持って関わっていくという用途で扱うととても意味があるものなのですよね。とても客観的な指標となることが求められるが故に,心理検査を扱うだけでも専門的な知識を持つ事を求められるものも多くありますが。
同時処理と継時処理
人間の認知処理の方法は,大きくは同時処理と継次処理に大別されます。これらの処理について,J.A.ナグリエリ(2010)は,同時処理は、「個人が分割された刺激を単一のまとまりやグループにまとめる心的過程」,継次処理は「個人が特定の系列的順序で,鎖のような形態で刺激を統合する心的過程」だと述べています。
同時処理は,情報を最初から最後までを俯瞰して概観できるように整理し,全体から関係性を見出す情報処理の仕方であり,複数の情報を視覚的な手掛かりで統合し全体的に処理する能力です。
一方,継次処理は,一歩一歩進むことを得意として分析し処理していく情報処理の仕方で,順序性があり時間的聴覚的な手掛かりから分析的に処理する能力です。
少し飛躍してその言葉の正確なところを無視して誤解を恐れずに言うと(というか思いついたから,というだけなのですが),前者はより演繹的であり,後者は帰納的とも言えるでしょうか。
どちらが良いとかではなく,どちらでもよいのですが,全体のゴールを示すことがうまい人,具体的な段取りを運用していくことができる人など,得手不得手で役割分担ができればよいのですね。
外から取り込んだ情報を処理する方法は,心理的過程でもありますが,その過程の傾向ということでもあります。
人は,目で見て耳で聞くのですが,そのデータは脳に送られて,初めて「見えた」「聞こえた」と認識するのですから,脳で見て脳で聞く,という言葉もそれほど間違いではありません。
その様に考えると,この処理の方法は人によってかなり違うだろうな,ということが想像しやすいと思います。
実は,ある人から教わっているときに,とても分かりやすくよいのだけれども,どうも自分のペースとは違うなぁと思っていたら,その先生は継時処理が優勢だとのことでした。私は同時処理の訓練も多く受けてきているのですよね。
ちょっとしたやり取りでも,この違いはうっすらと違和感として感じさせるのだなぁ,と思っていました。
教育現場を考えると
そこから連想していたのは,教育現場で最前線で活躍している学校の先生たちの処理型でした。
先生たちは様々な教授法を知り,身に着けていくのでしょうが,それでも同時処理の先生は,知らず知らずに自分の慣れ親しんだ方法をとってしまうかもしれません。
それらは,生得的なのか学習の成果なのかはさておき,ある程度の脳の使い方の傾向でもあります。
学習で変更できる部分もありながらも,やはり本来の得手不得手はあると思っておいた方が良いでしょう。
しばしば,子どもの指導において心理検査を使って同時処理や継時処理の傾向を見ていき,その子に適した指導法を使って指導を進めていくのです。その時には,先生も自分の傾向を知っておいた方がよいのだろうな,と思った次第です。
この取り組みは,自己理解と他者理解を深めてくれるでしょう。
また,相手を援助する(学習の援助をする)ということが自らの経験を振り返るように想像しやすくなり,相手との共感的距離も増した中で取り組めることは,先生にとっても生徒・学生にとっても幸せなことでしょう。
継時処理と同時処理については,発達の視点がより一般的になってきた現在,より身近な自分の理解として捉えてもよいものかもしれませんね。
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