デカルト 湯浅泰雄「身体の宇宙論」より
少しだけですが、ちょっとした得たばかりの豆知識の共有です。
湯浅泰雄先生の「身体の宇宙性」(岩波書店)を読んでいました。
デカルトは、心身二元論を唱えて、近代科学の基本的視点を提供したとも言われますよね。それは、結構知っている人も多いでしょう。
ただ、デカルトは科学の宗教的視点からの優越性を唱えようとしたのではなく、誤解を恐れずはっきり言ってしまうと、宗教を確立するためにそれを言ったというのです。
死を見つめる視線
デカルトの心身二元論では、肉体と心を別物と分けています。心は意識のあるところ、身体は肉体などの物質のあるところ、というようにです。
ただ人が死んだら、人の体は単なる物質になってしまいます。そこには、心―霊魂がそこに存在することは認められないことになります。
生きていると、心身結合は疑いない事実ではありますが、死ぬとそれは分かれてしまう、しかし魂があるとすると、心や物質という説明では言い切れないものがありうる、そのことを明らかに示すために、二元論を示したというのです。
面白い!!
ユングはデカルトの後継者
ユングは、深層心理学者として有名な人なのですが、ユングはデカルトの後継者だと湯浅先生は述べています。
アウグスチヌスが述べている「根源的イデア」は、以下のようなものです。
「根源的イデアとは、ある典型的型態、言いかえれば一定不変のものの諸原理である。これらの原理はそれ自体がつくられるということはなく、それ故永遠に同一であり続けるところのもの、神の認識に含まれるところのものである。これらの根源的イデア自身は滅びない。…だが人間の精神は、それが原理的でなければ、これらのイデアを目にすることはできない」
これは、まるでユングが提唱した元型についての説明と同じではありませんか。
そしてデカルトも同様のことを述べているのです。その内容は省略しますが、ギリシャ哲学から近代にまで、時に時代の表面に現れ、時に時代の影を流れながらも続く、人が何かに繋がっているのではないか、その宗教的思想の展開があるのですね。
東洋における死についての考察
湯浅先生は、その著書において西洋はソクラテス、キリストと死を迎えた偉人たちの影響を強く受けたが故に、「死」をとことん考えざるを得なかったと言います。一方、東洋はそこまで考えてはいないと。
しかし、東洋では死は考えるものではなく、体験するものであったのでしょう。それが東洋の身体論ですから。
ただ、死を論理的に考察する、という視点は少なかった、というのが正確なところなのでしょうかね。