情報の整理
前回も言及した本のメモです。
『臨床心理査定技法2』誠信書房 皆藤章編
2章「イメージを語る技法」(p51-99)において、大山泰宏先生は一つの物事の理解の視点を提供している。
それは、以下のようなものです。
統辞的(シンタグマティック)関係 | 論理的・因果的な制約でリニアに結合 |
連辞的(パラディグマティック)関係 | 類縁的関係、共通の性質をもつ緩やかな関係 |
私は仕事に行く
置き換えのできる言葉は、パラディグマティックなのですね。上の言葉の「仕事」という言葉は、他にも置き換えができます。例えば、遊び、釣り、図書館、研究調査、どれも意味を成します。研究を仕事としている時には、調査に行くことも仕事ですから、違う言葉でも同じ意味となりますね。
「仕事」という言葉自体にも広がりがあり、複数の意味を持つ様々な言葉があるのですね。
「私」という言葉は、シンタグマティックに見えますが、この私が現実の私なのか、夢の中の私なのか、その文脈によっては複数の状況を現します。
「私」という言葉を一人称として使っているのか、三人称視点の主観的な観察を示すために使っているのか、という見方もできます。
イメージの具象性・象徴性
イメージは、その対象が示す物理的な物体のみならず、その物体を象徴として、様々な意味を持つことがあります。
先日、道路を車で運転している時に、道のわきに「台湾料理」と書いた店がありました。「台湾料理」からいろいろな連想が膨らみます。
台湾の知人を思い出し、最近に台湾に旅行に行った人を思い出し、中国料理と台湾料理の違いについて考えをめぐらし、台湾の人たちの歴史を想像し、その看板を作った人について考えが広がり、その店を常連としているのであろう人たちを想像して考え、一人一人の生き方を考えていると、切りがなく広がってしまうなぁって思っていました。
我ながら、いろいろと考えが広がるものだなぁと思いつつ、想像やイメージの多様性をパラディグマティック・シンタグマティックな過程で一つの言葉に落とし込んでいくプロセスと、その逆にシンタグマティック・パラディグマティックな過程で一つの言葉にしながらもいろいろな意味を持つプロセスがあったり、上述の台湾料理は後者ですね。
たくさんの意味をその言葉に集約していく過程、漏斗でまとめていくかのようなプロセスが、パラディグマティック・シンタグマティックな過程です。
一方、一つの言葉からたくさんの意味や伏線に広げていくプロセスが、シンタグマティック・パラディグマティックな過程ですね。
心理検査によっても、その過程がどちらか違いますよ、ということですが、イメージの話から少し混線しながら、言葉の成り立ちと意味について、思いをはせています。
イメージを言葉にすることに、成瀬先生は反対していましたね。
心理カウンセリングでは、言葉を聴きながら、その言葉がどのように出てきているのか、その背景も複数の意味も、そこにその人が来た道も行こうとする道も現れていて、それら全てをしっかりと聴いていこうとしているのです。