理不尽な状況を理解できる因果律で解き明かそうとする取り組み
私、玉井もその例には漏れないが、人は理不尽なことにであると余裕をなくしがちです。
新聞などを見ると、理不尽なことをなくして、原因-結果という因果律で説明できることにしようと頑張っているようだ。
そして、世の中の優れた人や取り組みは、理不尽さに対してうまく対応しきれた人でもあるようにも思う。
・台湾の李登輝元総統が直面した過去の台湾の政治状況
・新型コロナ
・海外輸出が激減
・たばこ税の値上げ
・学校でのいじめ
・日照時間や大雨などの自然災害
・メジャーリーグ(アメリカの野球)のシーズン途中での中止
・横田めぐみさんの拉致
・親を選んで生まれてこられない
上は、8月1日のヤフーニュースで上がっているものに少し追加しましたが、多くの人が、理不尽だと思いそうなことの一部です。
本当にたくさんあります。
マスコミや多くの人は、理不尽なことを、人災であるとか誰かに責任を負わせることで、コントロールできることであったはずだ、ということにしたいのでしょう。
つまり、それほどまでに人は理不尽なことに弱い、ということでもあります。
理不尽なことがあったときに、どのようにふるまうのか、その選択肢によりその先は大きな違いがあるようです。
因果律で原因の責任を問えること
自分の責任だ、ということに対しては、自分の内に引き受け、我慢し、対策を練り、改善を図り、違った捉え方や新しい行動の選択肢まで練習します。
そして、同様のことを繰り返さないようにするのです。
自分のことと考えると、そのように取り組めます。
または、人のことを強く責めることも心置きなくできるのです。
例えば、新型コロナウィルスの世界的流行のきっかけは、明らかに中国武漢からのはじまりです。
新型コロナウィルスがどのように発生したかを調べることで、今後の対策に役立てようとする動きは妥当です。
ただ、それはそのようなウィルスが存在することの原因は特定できません。
人類の進化とおなじようなことですから。
それ故に、何に対して責任を負えるのか、責任を問えるのか、考えないといけません。
ただ、自分の責任を回避したいという欲求は、時に人間の基本的欲求の安全の欲求と重なるので、無責任な人も増えてしまうのです。
それ自体、理不尽なことです。
過去を乗り越えようとする人たち
過酷な成育過程を経験してきたことで、自分の振る舞いや物事の見方が偏ってしまっており、生きづらさを感じる人がいます。
そのような人たちとは、相談の中でもよく出会うのですが、時に「なんで私がこんな取り組みをしなければいけないんだ」といら立ちを露わに表現します。
それはもっともですね。
自分が過酷な養育を求めたわけではないのに、そのような環境で苦労し、さらにその結果身に着けたことまで修正していく努力をしないといけない、それが自分の生きるために必要だとわかっていても、時には嘆きたくなったり、愚痴を吐き出したくなるものです。
真剣に自分のことを見つめてきた人たちは、謙虚になります。
私も沢山、学ばせていただいています。
玉井心理研究室では、心理療法・心理カウンセリングの提供をしています。また、個人のみならず、組織や会社団体などにおける心理支援も行っております。
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