イメージ・思考・感覚
イメージは、心深く自由な飛翔を可能にする。
それは、単なる思考を超えうる可能性を秘めている。
ただ、その深い世界への門から入るためには、磨き上げられた経験と謙虚さが求められる。
単なる思考に留まらず、身体感覚ともつながっていて、それは生物としての歴史を紐解くのであろうか。
イメージ≠思考
思考は多くの経験によって磨かれ、その道を確固たるものとしていく。
ただ、イメージではその経験の道を離れて進むことも求められている。
しばしば、小説家が「自分のキャラクターが勝手に動き出す」と述べるように…。
夢が思考と異なるということは、殆どの人の夢が自我によって制御できないということによる事実によって、認められているのであろう。
ただ、イメージはただぼんやりした中で浮かんでくるとりとめのない思考とは異なる。
そのとりとめのなさから、意味を見出すことも十分に可能なのであろうし、その中に光り輝く断片が眠ることも多いのであろうが…。
イメージは、一定の態度を維持した中で進む受動的な体験なのであろう。
理性と感性を超えるイメージ
イメージの世界は、単なる視覚的なものに限らず、嗅覚や聴覚、身体感覚も感じる世界である。味覚も含まれるのだろう。
多くの宗教、治療の場面において、イメージが持つ力は大きいが、そのイメージ自体の力の証明ができていない。
プラシーボなどはその一つの例ではあるが…。
イメージには、一定の意思の力も寄与する。
そして、無意識との付き合い方も影響するであろう。
意志は、自ら定めた方向性を持つ思考である。
イメージは、意志を持った思考を遊ばせられる場なのかもしれない。
そしてそれを自然に使っている人たちも多いのだろう。
イメージに関心を持った心理士たちは、その過程において、回心ともいうべき心的変容が生じることを知っている。
これが、イメージの力であろうか。
玉井心理研究室では、心理療法・心理カウンセリングの提供をしています。また、個人のみならず、組織や会社団体などにおける心理支援も行っております。
現在は、Zoomやスカイプ、電話による相談も強化しております。
玉井心理研究室のメインホームページや、更新している本ブログでもいろいろな情報を発信していますので、ご覧頂ければ嬉しいです。
気に入った情報や文章などがありましたら、当研究室のブログからとして広げていただけたらありがたいです。