虐待事件
臨床に取り組み始めてからずっと、家族の問題に関わることが多く、多くの被虐待者たちとあってきた。加害者にもあった。
DVの被害者や加害者にもあった。
千葉県野田市で長女を虐待して死亡させた罪に問われている栗原被告の裁判では、栗原被告は暴行を認めていない。
どうどうと自らの娘に対する暴行の大部分を否定し、他の人たちの証言すら「間違っている」と言い張れてしまう。
人は、感じたことを実感する
否定している、というよりも、実際に「していない」と信じているのだろう。
今、これを読んでいる方が、3日前の昼食の献立は何だったか、すぐに答えられますでしょうか?
すぐに思い出せる人もおられるでしょう。多くの人は、記憶をたどろうとするかもしれません。
3日前に、好きな人とデートをした、という場合には思い出しやすいでしょう。喧嘩して無茶食いしたなぁ、という場合も…。
日常の中では、それほど感情の波が大きくないでしょうから(そうでない人もおられるのですが…)、過去を辿ろうと思っても思い出しにくいのです。
感情が強く動いたことは、記憶にフラグがたっているので、思い出しやすいのです。
栗原被告も、虐待を行っているとき最初は怒りをきっかけに行為に及ぶのでしょうが、感情を感じない中で行動だけが暴走していったのかもしれません。
そして今、感情のシャッターを下ろし、何を言われても感じない状態で過ごしているのでしょう。
感情を感じてしまうと、恐怖や不安、苛立ちなどで混乱してしまうでしょうから…。今はぶつけられる人もいませんし…ね。
ナルシシズム
この状態を心理学で説明すると、ナルシシズムの問題といってもよいでしょう。かつて私が書いた論文で、ネヴィル・シミントンの“拒絶の対象”が衝動を産んでいること、そしてナルシシズムとつながっていることを解説しました。
栗原被告も、まさに事実を拒絶し、自分の感情を拒絶し、それらは固い壁の向こうの別世界の出来事であり、触れることができないように感じる、つまり事実ではないものなのでしょう。
かつては、ナルシシズムは治療の対象にならないということが言われていましたが、現在は時間はかかってもその改善に向けて取り組むことの意味が見出されています。
私も、多くのナルシシズムの問題を抱えている方たちとお会いしました。
苦痛に満ちた別世界に触れていきながら、自分の調整をできるようになっていった人たちをたくさん知っています。
日本でも、法的強制力を持って、心理治療を行えるようになれば良いのに、と思います。
少年Aの例であるように、全てがよい結果を出せるとは限らないのですが…。
皆、必死に学び、研究し、関りを続けています!!
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