新聞の読み方
2020年元旦の新聞、朝日新聞と産経新聞をわざわざ読んでみました。
この二紙は意見が対りつすることの多く、何か面白いこと書いていないかなぁと思って見ていると、やはり見つかりました。
雑誌はそのような視点を多くの人が持つが、新聞も結局自分の言いたいことを切り取って情報を発信するので、同じ情報でも新聞によって切り取り方が違う。 新聞だから正確な情報だ、などというのは大きな間違いだ。嘘ではないけれども、必ず色がついている。
近年は、ネットニュースなども盛り上がるので、何が正しい事実なのか、フェイクニュースなのか、それとも事実の一部をうまく加工しているだけなのか、しっかりと読み込むことが求められ、そのような教育の必要性も耳にします。
「日本を背負って…」頑張るスポーツ選手たち
「選手たちは日の丸をつけるとガラッと変わったんです。自分のことを捨てて、やるべきことをやり、国のためとか、犠牲的な精神という素直な気持ちで取り組んでいた。日の丸をつけた選手たちの心意気を見た気がしました」
上の言葉は、ある有名なスポーツ選手の言葉が紹介されている記事を切り取ったものですが、2紙のどちらの新聞に紹介された言葉だと思いますか。
これは、産経新聞でした。「話の肖像画」というコラムで、かの野球の王貞治氏へのインタビュー記事からの一部です。
一人一人の頑張り、その個人を尊重しよう、という朝日新聞
ちょうど、2020年の東京オリンピックを意識してからなのか、この「日本を背負って…」という記事が朝日新聞でも大きく書かれていました。
予想通り、朝日新聞は「日の丸を背負って」などではなく、「栄誉は個人のものとして」という姿勢を強く打ち出していました。「2020どう生きる」というコラムで、支えとなる存在に触れながら、背負うことのバランスの難しさに触れています。
右や左、という分け方もシンプルに過ぎるのかもしれませんが、参考にはなります。
産経の発想は、朝日から見ると「国を大切にし過ぎて、国の全体主義的な活動にスポーツが利用されている。それは危険だ。」となるのでしょう。
一方、朝日の発想は、産経から見ると「個人を大切にする、という一人一人の耳触りの良い言葉を並べて、国という視点を軽く見ていないか」となるのかもしれません。
いずれにせよ、極端な解釈ですから、ご容赦くださいね。
箱根駅伝
例年、1月2日のイベントの一つに、箱根駅伝を上げる人もいるでしょう。
箱根駅伝、今年も素晴らしい走りを見せてくれています。
例年のこの番組の視聴率の高さも、文化的なものもありながら、「何かのために…」ということで力を発揮することを分かりやすく 教えてくれます。
これは、日本が世界に誇ってよいものでしょう。
いずれにせよ 対話を続けられればよいのだけれど…
話を戻すと、個人的な好き嫌いはありますが、いろんな意見を自由にかわし、対話を続けられる日本という国は幸せですね。
ほかの国では、そんなこと自体が権利としてあり得ないのですから…。
ただ、それを当然の権利と思ってはいけませんね。権利と義務はセットですから。
そして、しばしばその対話が続かなくなることには、不安になり、苛立ちを感じることもあります。
ヘイトスピーチもその一つかな。自由な意見の主張、というのもはき違えられると暴力ですね。子供へのしつけと言って殴る子供っぽい大人と同じように!!
おっと、私も感情が走りそうだ…(笑)。
箱根駅伝の例で分かるように、心理学的にも、自分のために頑張る、というよりも人のために頑張る、ということの方が、頑張る力が出てくる、ということにはなりますね。
朝日新聞も、美術家のの会田誠氏のコメントで、「巨大な注文主の命令に応じて制作するのはアドレナリンが出る行為。誘惑に備えるためには、全体主義アドレナリンが『ある』ことは認めておいた方がいい」と書いていますけれどね。
2020年東京オリンピックの選手たちも、力を発揮すべく努力を続けておられるのでしょう。心より、その頑張りを応援したいですね。
選手のメンタルサポートにも、興味ありますねぇ。私の今のスポーツは、下手の横好きの県道ばかりですけど…。
個人の支援も大切ですが、組織・企業への支援にも力を入れたいものです。組織は、明らかに個人への影響を強く持ちますからね。
玉井心理研究室のメインホームページ、ブログでも様々な情報を発信していますので、ご覧いただければ嬉しいです。
また、この一月からは、心理グループも始めます。関心がある方は、是非ご参加ください。わからない方は、お問い合わせください。