恒常性
「恒常性錯覚」という言葉、聞いたことがあるような言葉ですが、神奈川大学の杉山先生の寄稿(産経新聞2019/12/16)にあり、心理学辞典など調べてもしっかりとそのままに記載されてはおらず、簡単な論文検索に当たってもヒットしなかったので、調べ、考えてみました。
恒常性とは、外部の状況などの刺激の変化における変化を、内的には大きな変化とみなさず安定したものとして受け取る力です。
人のホメオスタシスとも重なりますが、例えば気温の変化があっても身体温度が維持されるなど、生体の維持にも必須の能力です。
錯覚
人は、様々な刺激の物理的性質を人が正確に把握しているのではなく、知覚独自の法則に従って刺激を把握しています。
そして正確な理解からのずれが大きくなる、そんな状況を錯覚が生じている、と呼びますね。
ハイゼンベルグの不確定性原理ではありませんが、完璧に正確な把握など、人間が到達することはそうそうない、という認識で正しいのだと思います。
ハイゼンベルグの不確定性原理とは、モノを見るためには、それだけでそのモノに影響を与えざるを得ない、という量子力学上の原理です。詳しいことは省略しましょう。
恒常性錯覚
そして、ようやく「恒常性錯覚」にたどり着くのですが、「恒常性錯覚」とは、恒常性+錯覚ですから、誤解を恐れずに言うと、あることを維持しようと集中するあまり他のことが見えなくなる、ということですね。
この言葉が、杉山先生の造語なのかどうかはわかりませんが、心理学の理論からは理解しやすい言葉です。
例えば「弱者を守る」ということは大切な視点です。ただ、気を付けないとこの「弱者を守る」ということに集中するあまり、他の問題が見えなくなっていませんか、ということです。
災害支援の現場などでも、同様のことが生じることがあります。
複数の異なった専門家が関わる場面で、問題解決の優先順位やリスク管理についての視点についてのそれぞれの主張が異なり、意見が集約できなくて実際に問題を抱えている人が放置される、といったこともあるのです。
誰もが、必死になればなるほど、自分は正しいと思う錯覚から自由になれなくなるのです。
このようなことは、日々の中でたくさんありますね。
というか、殆どの問題が声高らかに訴えられる場面で生じている気がします。
実際には、問題が訴えられていない場面でも生じているのですが、その殆どはスルー出来ることになりますから、極論では人の活動の多くは誤解と思い込みで進んでいる、と考えてもよいのかもしれません。
「継続は力なり」ということ
人の活動は誤解と思い込み、と極端な表現をしていますが、否定的に考えることはありません。そんなものです。
それ故にこそ、継続的な行動や活動が大切なのでしょう。継続される中で、その人となりは自然に浮き上がって明らかになり、それは評価を受けるものなのでしょう。
一時的な感情の揺らぎ、気分の変化、判断の揺らぎなど、自然なことではあるでしょう。大切にする価値観、それすらも時には人の盲点になるのです。
そんな人の弱さでもありながら、柔軟さでもある力を大切に感じていきたいですね。
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