依存は悪いのか?
依存の問題を目にすることは多いですよね。
マスコミでは、薬物依存の問題を起こしている芸能人やスポーツ選手の情報を取り上げるのが好きですね。警察にも喜ばれているでしょう。
日本の方針でもある統合型リゾート(IR:Integrated Resort)のカジノ計画についても、ギャンブル依存の懸念が指摘されています。
世界保健機構(WHO)でも、2019年にはゲーム依存を精神疾患の診断として含めるという方向を示しています。
依存症とは何なのか、依存は悪いことなのか、少し考えてみたいと思います。
三省堂の大辞林第三版では、依存とは「他のものにたよって成立・存在すること」と書かれています。
その定義から発想を拡げ、誰にも、何に対しても一切の頼らずに成立・存在しているという人はどれぐらいいるでしょうか。
この手の話になると、私はしばしば映画の『キャスト・アウェイ』(Cast Away)を思い出します。
主人公のトム・ハンクスが無人島で暮らす話です。トム・ハンクスは、一人でいることが耐えられず、流れ着いたボールに顔を書いて、話し相手にしていました。
人間など、哺乳類は同類相哀れむではありませんが、お互いに寄り添って助け合う中で、落ち着いた感覚を取り戻すことが多いのです。
つまり、哺乳類を含めた人間の神経構造が、他者の存在を前提に作られているのです。言い換えると、人は依存からは完全に切り離せないのです。
良い依存と悪い依存
依存自体から、人は自由に離れないということを書きました。
さらにもう一歩話を進めましょう。
良い依存、悪い依存を分けられるでしょうか。
良い依存とは
簡単に書くと、長期的にみてお互いの精神の成熟に向かうと思われる、お互い様の相互依存は良い依存としてもよいのかな、と考えています。
そこには、必ず一定の制約が伴います。
例えば、物質的なことからいうと、人は電気に依存していますよね。
ただ、この電気の便利さを享受しながらも、発電のコストや経済的・環境的などの支払いが求められます。
心理的なことでも、人は支えを必要とする、つまり依存します。
専門家や周りの人、更には宗教などを支えとする人は少なくありません。
そのような支えを必要とするのは、苦痛を体験しているときの、一時的な避難所としてなのかもしれませんし、先に進もうとする力を出すための土台としてなのかもしれません。
苦しいときに、わかってくれる人に話を聴いてもらい、その心地よさにその場から出ずに引きこもってしまうと問題になるでしょう。
ただ、そこから先の現実に向かっていこうとするときに、勇気を振り絞り、成長していくのでしょう。
悪い依存とは
一方的な依存、制約の伴わない依存は、幼稚なものとして見られたり、問題になることが多いかな、と考えています。
一方的な依存とは、赤ちゃんなどはその典型的な存在です。赤ちゃんは、ほぼ確実に周りのお世話をしてくれる人に依存する形でしか生き延びれないのです。これは幼いから、というまでもなく、その時期を人間は経るしかなく、成長する過程で、少しずつ自立心/自律心を育んでいくのです。
病気で体が動かない人でも、「お世話をしていただいてありがとう」ということを支援者と共有して、お互いに満足するところを探そうとするでしょうし、自分が得られる限界を理解して、我慢もしているのです。
大人になっても、お世話をしてもらうことばかり考えている人は、ちょっと幼いと言われてしまいますし、耐える力がなさ過ぎて問題です。
無制限な依存は不健康な側面を促進するのです。
さて、次には様々な依存のタイプについて、書いてみたいと思います。
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