音楽は…苦しい!?
私は子供の時からピアノの練習に真剣に取り組みましたが、音楽が好き、楽しい、という感覚はありませんでした。
親や怖い先生に怒られないように、本番で恥をかかないように、何かに追い立てられたり追い詰められたりした気持ちで向き合っていました。
もちろん、何かを習得して、できなかったことができるようになった時、本番でうまく演奏できて褒められた時などは嬉しくて、充実感を味わいました。
でも、それと「音楽が好き、楽しい」と思う気持ちとは、少し違う気がするのです。
才能という残酷なもの
先月の話ですが、小さいころから知っている男の子が、フランスでの国際コンクールで優勝しました。
その子は小さい時から、演奏が他の子とは一味違っていて、躍動感や感性で、聞く人を惹きつけていました。
これが才能なんだな、と思いました。
才能がそれほどでもない人がどんなに努力しても、才能を与えられた人の演奏には叶わない、と、最近読んだ小説にもありました。
私も音楽の都と言われるウィーンで、豊かな才能を持つ音楽学生にたくさん出会い、こんなちっぽけな私が音楽を続ける意味はあるのだろうか、と悩み、やめてしまおうと思ったこともあります。
才能がある人だけがやれば、それだけで音楽界は十分成り立つ。そんな気がしていました。
自衛隊の音楽祭り
これは先週のことですが、あるご縁から、自衛隊の音楽祭りのチケットを頂いて聞きに行ってきました。
私は中学生の時に吹奏楽部にも入っていましたが、管楽器だけの合奏をあまり好きになれず、さぼることばかり考えていました。なので、正直なところ、自衛隊の演奏、というものにあまり期待はしていませんでした。
しかし!その考えは見事に覆されました。
一糸乱れぬ統制感で、皆さんの力が合わさった演奏とは、これほどまでに迫力があって惹き込まれるものかと、感動してしまいました。
演奏だけでなく、儀仗などを使ったパフォーマンスのすべてが計算された美で成り立っており、全員で一つのものを完成させるというのは、日頃から厳しい訓練に耐えている自衛官だからこそなせる業です。
誰一人として、その調和を乱すことが許されない、そんな演奏には、抜きんでて際立った才能はかえって邪魔になるのではないか?と、ふと思ったのです。
音楽に包まれながら考えたこと
考えはとりとめもなく、さらに広がっていきます。
そもそも音楽とは何のためにあるのだろう、と。
私がかつてウィーンに行きたいと思ったのは、ピアニストとして職を得るためにもっと技術を磨きたい、と思ったからではありません。
先生に毎週レッスンを受け、音楽高校、音楽大学と通って卒業するという時、確たる就職へのビジョンもなく世間に放り出され、でも音楽をやめるという選択肢は無く、果たして音楽は何のためにあるのかが分からなくなってしまったのです。
いつも音楽に向かう時は、「怒られないために」やってきましたが、その先にはもっと自分に返ってくる喜びや幸せがあっていいのではないか、そして、数は少ないだろうけど、私の演奏で喜びや幸せを感じてくれる人もどこかにいるのではないか。
それが音楽の本質ではないか。
日本にいながら必死にヨーロッパ人が作った音楽文化を勉強してきた中、それが生まれた土地で音楽を感じたら、答えが見つかるかもしれないと考えたのです。
そういういきさつでヨーロッパに渡り、その答えが見付かったかは、長くなるので書きません。
ただ、帰国して10年以上が経ち、新しい家族ができ、様々な角度から音楽を見つめる機会も増えました。
そして今回、自衛隊の素晴らしい音楽に包まれ、クラシック音楽以外にもこんなに多様な音楽が世の中には溢れていることに、今更ながら気付きました。
音楽が何のためにあるか、への答えは簡単には見付からないかもしれませんが、人間の生活のあらゆるシーンで音楽は存在することに気付きました。
玉井心理研究室の玉井も、心理療法で一生懸命頑張っても、本当にちょっとした音楽によってもたらされる安らぎにかなわないことがある、ということを言っていたことがあります。
またこの件、続けて書いてみますね。
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