パーソナリティとは
私たちは、誰もがそれなりのパーソナリティ、つまり性格がありますよね。パーソナリティがない人なんていませんから。
このパーソナリティの形成には、生まれついての気質に加え、生後幼少時の体験、そしてその後の様々な経験が関わっていきます。
つまり、パーソナリティの特性とは、長期にわたって比較的一定している思考、知覚、反応、そして対人関係のパターンなどによるのです。
対人関係でも、人と一緒にいたいと感じる人、一人の時間をより大切に感じる人のどちらもいます。実際には、ときによってどちらにもなる、という人すらいることでしょう。一つが当てはまるから、他のものは当てはまらない、というのではなく、その傾向が他に比べて強いかどうか、ということなのです。
そして、それらのパーソナリティは感情体験に大きく影響します。人と一緒にいたい人が一人になってしまうと、寂しさを感じるでしょうし、その寂しさに耐えられないのであれば、怒りや抑うつといった別の感情に置き換えていくかもしれません。
一方一人で過ごしたい人が、その時間がなかなか取れないのであれば、それはそれでなかなか落ち着かない時間が続き、何らかの不快な感情体験に入ることもあるでしょう。
今回からは、そんなパーソナリティの極端な偏りということで、精神疾患とされているパーソナリティ障害について、概観します。
そして、少しずつそれぞれのパーソナリティについて別の機会に書き進めたいと思います。
パーソナリティ障害の人が心理相談室に出会うきっかけ
パーソナリティ障害は 上述の思考、知覚、反応、そして対人関係のパターンの特性が極めて顕著で、柔軟性に欠け、不適応的なものになるために、仕事および/または対人関係の機能が障害されるときに診断されます。
実際に、そうした社会的不適応は、パーソナリティ障害を抱えている人のみならず、その周囲の人に著しい苦痛を引き起こすこともしばしばです。
パーソナリティ障害を抱える人は、カウンセリングを必要とする他の多くの人たちと異なり、自分自身の思考や感情については「普通のこと」と捉えていることが多く、そのことの不快さを訴えて心理相談を求められることは少ないようです。
実際には、自分の行動が社会的に不適応なものとみなされ、他の人たちとの関係でうまくいかないことによる困惑や苦しさが、その相談に訪れる原因となることが多いのです。
パーソナリティは変えられるのか
パーソナリティ、つまり性格を全面的に変える、ということは難しいものです。
私は、「性格は“三つ子の魂百まで”というように、すっかり変わるということはなくても、自分についての理解や対処パターンを増やすことで、自分の性格に振り回されなくなることを目指しましょう」というような説明をすることが多いです。
一人の時間を好む人が、いきなりいつもパーティの中で騒いでいるのが好きになる、というのはなかなか想像できません。
対人関係が苦手なんです、という多くの人が、実はとても社交的に見えていて、ソーシャルスキルの高さで対応している、ということもしばしばあることです。
自分の性格や、その成り立ちについて、じっくりと考えてみることは自己理解に、そして更には他者理解にも役立っていくことと思います。
今日は、具体的なところには触れませんでしたが、明日はその診断の枠組みについて、書いていきます。
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