怒りは憎しみとは異なる
世の中、虐待などの事件をみると、突発的な怒りとどのように付き合っていければ良いのか、知らない人が本当に多いようです。
子供に対する姿勢として、叱る、むかつく、怒る、などという言葉を使い分けて説明してくれる人もいます。昔、頭で怒ると感情をぶつけてしまう、胸で怒ると我慢はできても雰囲気悪くしたり相手を威嚇する、腹で怒るとダメなことはダメと強く伝えながらも感情に振り回されなくなる、ということを教えてくれた先生がいます。大先輩の心理士で、今は草葉の陰から見守ってくれているのかと思います。
事例より
以前関わった人で、怒りが出るとパートナーをめちゃくちゃ攻撃してしまう人がいました。後で、後悔もするけど自分を止められない、その時は憎さや怒りで一杯になってしまう、とのことでした。その方と心理面談を重ねていく中で、ご自身を見る力をつけていき、自分が大切にしたいものを大切にすることってどういうことかを体験的に学び、練習し、なぜ自分がそうなってしまうのかも理解し、過去の整理も進めていかれました。
その方の取り組みが随分と進んだ後で、「今でもやっぱりけんかしてしまうんです。でも、今はけんかしている最中も「私たちまた仲直りできるな、大好きだし」って心の中で思えているんです」と述べられました。前は、心を怒りが占領してしまうと憎しみを相手にぶつけてしまっていた方が、表面的なぶつかり合いのけんかではなく、深いところで相手とつながれている感覚を獲得していかれたそんな発言に、感動したことを思い出します。
受け入れられる体験の大切さ
怒りを感じながら、より深いところで相手のことを受け入れる、そのためには、怒られながらも受け入れられている、という心にしみる体験も必要なのかもしれません。
私がいろいろと教えていただきお世話になった堀越勝先生も、「人は愛されないと愛せない」ということを常々おっしゃっておられました。
私も、本当に沢山の人に指導してもらい、話を聴いてもらい、助けてもらいました。そして、怒りをぶつけてきながら受け止め合おうとしてくれた人との交流で、踏みとどまって関係を維持することも学んできました。
怒りを感じるのは、相手を嫌いだから、憎しみがあるからではないのです。もちろん、憎しみを感じる対象もあるでしょうが、そのような対象とは、距離を置くことです。精神的に距離を置けない人は、物理的に距離を置くしかないのです。
人が心でつながっている体験を実感し、それを大切にできる社会になるよう、皆さんと力を合わせていきたいと思います。