先日の三連休、天気が不安定かもしれないという天気予報でした。結果は外れ。かつて、ロンドンで学生をしていた頃、「競馬の予想と天気予報のどちらの当たる確率が高いか」といった賭けがあったのを思い出しました。
イギリスは、何でもかけ事にしていた気がします。外から見ると、紳士の国なんて見えたりするかもしれませんが、結構おちゃめで、暴れん坊です。競馬と天気予報、どちらが勝ったのかは覚えていませんが、どっこいどっこいなんでしょうね。
実際に、天気予報には様々な今までの気象データが入力され、現在の最新データも刻々と入れられる中で高性能のコンピューターが計算するのでしょうが、それでも精度はある程度以上にはならないのでしょう。ただ、それはいいことかもしれませんね。人は、自分が克服した、つまりわかったと思った時に、どうしようもなく傲慢になり、自然すらも支配しようとするでしょうし、思い通りにならないことを受け入れる力を弱めていくでしょうから。これも、1つの予測です。
予測というと、天気予報だけではなく、30年以内に地震が来る確率、病気になる確率、お金が儲かる確率など、様々な計算がされています。ただ、全て確率の問題であり、「確実にそうなる」保証はありません。また、予測に応じて想定外が一切なくなるように、思い通りにいかないことがなくなるように、全ての準備もすることは叶いません。
完全な準備など、日本など、もともと火山や地震の多い国がらなのですが、最近の台風など異常気象を考えると、日本に住むこともできなくなってしまいます。それでも、日本は安全など、理想を追求して取組みを進めてきた部分もあります。理想を思い描きながら、それに対する費用対効果も計算し、最善の策か、次善の策か、検討しながら対処を進めないといけないのです。
予測精度を上げる研究に力を注がれる方たちもおられますし、予測に頼らず気持ちをゆっくり持とうとする取り組みを拡げようとされる方たちもおられます。どちらの取組みも大切だと思います。
心理士として多くの人たちと出会ってきたおかげで、特定の環境がどのように人に影響を与えるのかについての予測精度も高まってきました。ただ、予測はあくまでも確率、予測が外れることを残念に思い、例外があることを楽しみながら、現実の観察を続けていきたいと思います。