職場の友人と、前からマンガ交換を時々している。昨年、貸してもらってはまったのは、「ワンパンマン」だ。つい最近、20巻を貸してもらい、満喫してしまった。
私は乱読でいろいろ手を出すのですが、このマンガは久しぶりにはまった。余計なことだが、その面白さを勝手に考えてみました。
少しだけ、マンガの紹介です。主人公の「ワンパンマン」は趣味で正義のヒーローを始めた人で、どんな怪人でもワンパンチで倒してしまう、圧倒的な強さを持ちながら、社会からはヒーローをしていてもそんなに強くない人と認識されている。怪人が沢山いるその時代、怪人と戦おうとする人たちがヒーローとして登録されているところ、それがヒーロー協会なのだが、その協会の強さのランクでトップクラスのあるヒーローが倒してきたという怪人の殆どをやっつけてきたものの、「それで」とあまり自分の成果を気にしない人です。強すぎてつまらない、というような生きているギリギリ感を感じられなくなってしまったのが悩み、みたいな人です。
このブログでも、生きている感覚について、ぽつぽつ触れてきたことがありますが、まさに「ワンパンマン」もその生きている実感が強くなればなるほどなくなってしまった、と言っているのです。怪人がいれば、「次こそ俺がギリギリ感を感じるほどに強い怪人と出会えるのか」と期待して挑み続けながら、最後はワンパンチ、そして日々を過ごして次のチャンスを淡々と待つ生活を送っています。
生きているギリギリ感を求めつつ、圧倒的な強さでそのギリギリ感にはたどりつけない、ただし決してあきらめず、力まず、自ら出来ることをやり続ける、素朴でかっこよくもないんだけど…。「俺ってすごくない」と言いながら、ナルシストになりたいと思いながらなれない素朴さ、とことん現実(マンガの世界ですから)を受け止めて生きている人ですね。そんな余裕を持ちたいなぁ、という私の願望が投影されているのでしょうか。でくの坊のようなカッコよさか。
私は、長く臨床を続けてきたので沢山の人たちとお会いし、いろんな話を聞かせてもらってきていますが、まだまだそんな余裕には遠いですね。というか、ずっとそんな余裕を持てないまま、一生懸命な気がします。もう一度、ワンパンマンを読み返してみます。