こころの科学207号の特集「発達障害のからだとこころ」を見ていて、少し関心のあるテーマがあったので簡単に書いておきます。
それは感覚処理障害(Sensory Processing Disorder:SPD)についてであり、視覚、聴覚、触覚、触覚、嗅覚といった感覚入力による情報に対する脳の処理・解釈に関する障害のことです。
感覚の障害というと、発達障害とつなげて考える人も少なくないでしょうが、これは特に何の器質的な障害がないとされ通常の定型発達を進んできた人の中にも、10%超はいるらしいのです。もちろん、自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder:ASD)の人の場合にはよりその確率は高くなり、不安も増しやすいとのことです。
ただ、その研究の中でも、不安が高いから情報処理が適切に進まないのか、情報処理の問題があるから不安なのか、卵が先か鶏が先か、現在の研究でもよくわからないらしい。大変悩ましいことです。
ただ、不安が高まると脳の余裕がなくなり、緊張して特定の感覚刺激への注意が高まってしまい、否定的な感情調整が進む余地がなくなり、緊張は益々増していき、刺激へ過敏さも増していく、という悪循環になる、というメカニズムは理解しやすいものです。
どうやら、SPDと不安などの否定的感情・過緊張の悪循環がパターン化され、SPDが持続してしまうようですね。
心理士はこの状態を不安感情に起因すると考えやすく、作業療法士はSPDに起因すると考えやすいとの指摘もありました。
私も、お会いした方の感覚処理の偏りが見られるときに、心理検査などでその原因を特定しようと進めることがありますが、どこまでがその方の変わらない特性なのか、それとも一時的な感情刺激によって生じている状態像に過ぎないのか、判断が悩ましい時があります。
ただ、それがどちらか特定できないと進まないのではなく、その方の持つ傾向性は明らかに表面化していることが多いものですから、それに合わせた支援を行い、自分の特徴を理解して問題が生じやすい、という理解をしながら進めていくことで、対処がうまくなっていくことが多くあります。
知的には高いのに、言葉でのやり取り、つまり聴覚刺激からでは自分の気持ちに触れることに困難を覚えていた人は、自分がそのような状態に陥っていることすら認識できずにいました。言葉を書いたり図示しながら進めるなど視覚刺激を通したやり取りを増やすくとで、気持ちに触れることができるようになりました。人の期待に応えないといけない、というルールで動いていた方でしたので、そのルールによる緊張が原因なのかとも思われましたが、いずれにせよ悪循環のパターンから逃れられなくなっていたようです。
感覚処理は、人により凸凹するところですから、多かれ少なかれ偏るものです。そして、その偏りは自分では中々自然に気がつくことは難しいものです。ただ、他者にも援助を求めながら客観的に確認していくことで、自分の中でも処理が進みやすい感覚、苦手とする感覚などもわかっていると、余計な混乱に陥らなくて済みそうですね。