地域・環境で人を支える
精神疾患を抱える人が自分の住む場所を見出す、そんな支援が精神科訪問看護なんだなぁと感じます。
先日、関わっているNPOの中での研修で、精神科訪問看護に取り組んでいる方の話を聴かせてもらうことができました。
これは、有意義な取り組みです。
かつて日本では、精神病者は社会的隔離政策がとられていましたが、今でもその名残のような部分があり、変わった人は病院で過ごしてもらう、という部分が今でも残っています。
実際に、病院が必要なのではなく、地域や家庭に許容される場所がない、というのも実情で、その引き受け手に病院がならざるを得ない、という面もあるのでしょう。
精神病の人は危険で何をするかわからない、といった意見もかつてはよく耳にしましたが、さすがに最近は減ってきましたね。実際に、急性症状の時はさておき、そのような衝動的な時間は長くは続かないのですから、社会的環境を整えていくことで、進むこともあるのでしょう。
ミルトン・エリクソンの事例
催眠療法の大家であったミルトン・エリクソンの事例を思い出します。
ある統合失調症の患者のもとに、犬から手紙が届きます。
そして、その患者やエリクソンとともに、そしてエリクソンの妻を守るように生きるのです。
事例はよく思い出せるのですが、どの本に書いてあったのか、事情があってそれらの本は近くにあって触れない場所にあり、手に取って確認できないのですが…ご容赦ください。
私の頭の中において、記憶改変がまったくないとも言いきれないし…。
エリクソンは、その患者の周りの環境を、適切な環境へと整えたのです。
心の環境がなかなか不安定で、精神疾患を持ちながら生きざるを得ない人もいるでしょう。その場合には、心の外の環境を整えていくことで、ただ守られるだけではなく、生きる意味を感じながら生きていけるのです。
甘えの構造
このことから、日本における甘えの構造について考えを深めていきたいとも思いつつ、今日はここまでとしましょう。
日本における治療、対人支援の特徴には、日本の文化的な影響が強くありますからね。
このIT社会では、日本人もその文化を大切にしつつも、それを超えて成長しないといけないのでしょう。