今日も感覚について、進めます。ここはこだわりを持って。テーマは痛みです。
体の痛み、既に書いた内臓に痛みを感じることもあります。頭痛や身体の特定の部分の痛みが取れない、と訴える人もおられます。痛みは、それだけで不快なものですし、何らかの問題を表現しているという理解を持つ人が多く、その痛みのもとを取ろうとするのは自然なことでしょう。痛みがひどい時にはお薬も役立つこともあるでしょうしね。
ここでは個別の痛みの治療については書きません。感覚を過敏になり過ぎずに観察できるか、観察することで見えてくるものは何か、を追求しようとしています。痛みを無視するように麻痺してしまわず、ちゃんと気づいて観察できるか、ということでもあります。
痛みに際して、適切で必要な治療をしたうえで、痛みを観察できるでしょうか。否定せず、批判せず、怒りや抑うつ感といった感情もあまり引き寄せずに…または引き寄せていることに気付いて、ちょっとそれに遠慮してもらいつつ…。
私は、肩こりをほとんどしないので、年に一度ほど極端に肩こりになる時には、頭痛も伴い耐え難く、観察するどころでは無い気持ちになることが多くありました。それでも近年は、そんな感覚を観察することもできるようになってきました。観察するポジションに立てたとしても、その痛みは変わらないんだから意味がないんではないか、などと思ったことも多々ありますが、それでも痛みに呑み込まれ、苦しみに呑み込まれているよりは、じぶんの制御力がついて、後々後悔することも無くすごせるようになることは、マシなことです。少し、悪あがきして悪化させるようなことがなくなる分、スムーズに治っていっているのではないか、などと信じるようにしています。
マインドフルネスも、カバットジンが西洋医学で取れない痛みを軽減する研究から発展した概念です。
仕事柄沢山の人とお会いしますが、痛みに耐えている人、心の痛みに踏みとどまる力を発揮する人、そんな人を尊敬を感じます。人はつい、苦しいと人を責めたり自分を責めたりしてしまいがちなのですから。瞬間的に痛みや苦しさに呑み込まれそうになっても、そこから自分を取り戻すということは、本当に力のいることです。もちろん、ただ耐えるのではなく、適切な対処をしながら、練習をしながらですけれども。いっぺんにそこまで行けなくても、少しずつでよいのです。
痛みとどのようにつき合っているか,つき合ったか、変化してきたかなど、コメントを寄せてもらえると嬉しいです。