トラウマへのアプローチ
今日は、呼吸について考えてみましょう。
息は、意識せずとも出たり入ったり。でも、「息が詰まる感じがする」「過呼吸が怖い」「呼吸ができていない感じがする」「息切れがする」などと言った訴えもしばしば耳にすることです。激しい運動などを通して、苦しいのを乗り越えて肺活量を鍛えようとする人もいるのですが…。
呼吸は、自然なものですし、「深呼吸しよう」などとある程度コントロールできる気もするからこそ、時にそれがうまくいかない気がするときにはどうしようもない感じになってしまうようです。呼吸困難の感覚に関する研究なども少なくないようですが、今回の主旨とは異なるので横に置いておきましょう。
実際に気になる人は、病院に行って調べてもらうこともあるでしょう。それで病気が見つかって、治療が進めばよいことです。 息は生命に関わりますから、私たちはすぐにその「意味」を考えてしまいます。何がおこっているのか調べて、安全を確保しようとするのです。不安や恐怖といった感情も、すぐに近づいてきます。
病気ではないと言われたのに、その違和感が続く、というのはつらいことです。ストレスの問題とされてしまうこともしばしばあるようです。ストレスのせいで…という場合には、病気などの疾患など適切な検討をして、更に知識を得た後には、その感覚をただ感じてみましょう。どんな感じがしてくるでしょうか。
呼吸を感じていると、「もう嫌だ、感じたくない」といった体の声が聞こえてきて、耐えられない感じに囚われてしまう人もいます。サポートをもらいながらそれに耐え、そこに留まっていると「不安や恐れ」「べき思考」などが見つかり、それらを否定せずに受け入れて(というかそのままにして)感じていく中で、その変化が進んでいったという人もいます。過敏になり過ぎず、無視し過ぎず、ただただ見るのです。
私も、いろいろな場面で 呼吸を利用します。 まずは今現在の呼吸を感じます。 そして、自分を整えるために、そしてリズムを作るために、無理ない形で少しずつその呼吸を動かしていきます。自分の意図と、身体の都合を丁寧にすり合わせることができることもあります。普段は、もっと強引にしてしまいますけど…。
かつて、マインドフルネスで著名なカバットジンが訪日した時のワークショップで、「一つとして同じ息はない。一つ一つ新しい息を感じよう」と言っていました。
自分と呼吸の付き合い方、呼吸への反応、思考や感情、そんな事への気づきがあれば、コメントしてみてください。