トラウマへのアプローチ
昨日のブログで書いたように、今日からは少しの間、身体感覚について取り上げてみたいと思います。
このテーマ、少し整理してから進めましょう。まず、「感覚」とは、今の一瞬その時々に体で感じるものです。そして、その感覚には内臓や筋肉、そしてそれらの変化といった意識しない不随意の行動もあり、それらは「感覚行動」「内臓行動」などと呼ばれたりもしています。そして、私たちは意識することで方向付けることができます。気になること、魅力的なことなどに私たちは惹きつけられ、意識が向きますよね。そして意識が向いた方向に動いていくのです。
多くの場合、外の刺激をきっかけに意識が向き始め、同時に内側でも意識が生じ始めます。美しいものに目が行き、心で喜びを感じるように、です。
少し脱線が大きくなりそうです。本日のテーマである感覚に戻りましょう。
今回は、心拍、つまり心臓の動きや血流の感覚に考えてみたいと思います。もちろん、皆さんも改めて考えてみて頂きたいと思います。
心臓がドキドキしていることに気づくとき、どんな時でしょうか。階段を急いで駆け上がったとき、怖い先輩に話しかけたとき、ホラー映画を観ているとき、いろんな時があるでしょう。
このドキドキ、ノルアドレナリンのおかげかもしれません。エネルギーをいつもより少し多めに体に配れるように、心臓が頑張ってくれているのです。頑張りすぎていると体が感じると、自然にそれを抑制しようとしてアセチルコリンが分泌されることもあります。こうやって、心臓はその時々の状況に応じて、バランスを持って動いてくれているのです。そんな知識はあってもなくてもいいのですが、身体の感覚をそのままに受け止められるようにするために、時に過剰に心配になる人もいますので、大雑把かつ蛇足かもしれませんが簡単に書いておきます。
そんなドキドキの結果として、身体が火照ったように感じる人もいるかもしれません。それを血が逆流するようだ、という激しい表現でうったえる人もいます。その反対に、血が引くようだ、という感覚を感じる人もいます。
ドキドキしているとき、身体が火照っているとき、冷え冷えとしているとき、「緊張しているんだ」「やばい」「ワクワクしてきた」などとその感覚を評価することもあるでしょう。そして、そんな感覚を土台とした評価に囚われていき、自分がますます混乱していくこともあるのです。だからこそ、ただその感覚に意識を向けていられるようになると、その感覚の変化もうっすらと感じられるようになってくるものです。
皆さんは、このように心臓の拍動を感じるとき、身体の血流を感じるとき、それをどのような「考え」や「感情」が出てくるでしょうか。それらの身体感覚を「危険」という決めつけが生じていないでしょうか。その考えがあっているかどうかではなく、その感覚と一緒に生じる感情を正当化するでもなく、ただその感覚を感じてその変化をたどれるようになる、そんな体の微妙な変化を感じていくのです。
パニック発作で悩む人にもよいかもしれませんね。少しハードかもしれませんんが…。これは、身体感覚暴露と似ていますね。
皆さんにとって、今回の循環器系の感覚、自分はつい「このように意味づけて考えてしまう」「このような感情と繋げてしまう」というのがあれば、更にはこんな工夫で観察できるようになったなど、コメントして頂ければ嬉しいです。