査読という壁を超える
先日,『精神療法』誌に投稿しておりました論文の査読が通り,掲載が決定しました。
査読とは,専門論文雑誌において,その雑誌の編集委員会が依頼したその分野の専門家数名が投稿された論文を書くに数る過程なのです。
過去に,論文捏造問題が社会をにぎわせたこともあります。
論文の内容をチェックするには,その領域の専門家が確認し,そのお墨付きを得たのが査読付き論文,ということになるのです。もちろん,その学会のレベルや審査状況も様々で,査読が通りやすい入門のようなところから,あそこの学会で出たか,というように認められる学会もあります。
査読者も人ですから,学会の編集委員会が如何に公平にその取り組みを進めたとしても,ときにその編集委員会のメンバー構成員の力関係で,その査読傾向に影響が出るなんてことも耳にもします。
しかし,嬉しいですね。出版されたらまたご報告します。
もう少し頑張ろう
今現在,もう一本,それは別団体に投稿中,投稿計画中のものが2本あります。
この二年,本当にハイペースで論文を書いています。
いろいろあって,出版にまでは至っていないのが悲しいのですが…。
昨年から,ある学会では査読で内容的に不採択,更に所属する別学会では内容については悪くないがスコープが違うということで不採択,粘り強さだけはあると思っていても,それも疲れてきていたところでの吉報に,ほっとしました。
はっきり言うと,私,玉井の博士号取得に必要な査読論文数は既に足りているので,あまり自分を追い込まなくてもよいのですが,せっかく勉強したから,それは形にしておきたいよ,という欲かもしれません。
それでも周りに,同じように学び研究を発表していようとする人たち,そして査読者たち,そしてそのような場に近い人たちが沢山いる環境はありがたく,適度に自分を追い込む心地よさを感じている,というのもあります。
実際,多くの研究者とされる人たちが,社会や人,そして世界に役立つかも,という新しい知見を拡げようとしているのですから,それは刺激が沢山もらえます。
研究も,そしてその論文作成も,個人の興味関心を極めるというようなところですから,極端な趣味みたいなところもあります。ただ,それだけではなく,論文化してその学びと検討を世に問うことは,その学びを活かすための一つの方法ですから,大切な実践だと思っています。
形にするために頑張ると,勉強したことが更に身につくのは事実なので,それは自分にとっても本当に役に立つのですけれどもね。
今日は,そんな嬉しいご報告で筆をおいておきます。
玉井心理研究室では、心理療法・心理カウンセリングの提供をしています。また、個人のみならず、組織や会社団体などにおける心理支援も行っております。
現在は、Zoomやスカイプ、電話による相談も強化しております。