心理雑感

世界について少し勉強になった 近代政治哲学

近代政治哲学

 最近,縁があって哲学関係の本を読み漁っていて,カントの周辺について集中し始めたところで,國分功一郎氏による『近代政治哲学』(ちくま新書)を手に取りました。大学で哲学の素養がない人でもわかるように,ということで世界の政治などの形態がどのように展開してきたのか,そしてそれに対する理論的根拠をどのように提供してきたのか,ということについてわかりやすくまとめてくれているものです。

 なるほどなぁ,と知らなかったこともあって,簡単に私のメモも兼ねるようなつもりで,簡単にご紹介します。
 ただ,その本はマルクスの共産主義など,近年の思想にまでは入っていませんし,あくまでも歴史的な,という流れですので,ご了解ください。また,様々な知識は広く視野を持って学ぶものでしょうけれども,この場は学術的な報告の場ではないので,それもご了承ください。
 なんか,言い訳ばかりになってしまいました。
 最近,学術の世界のルールって本当に厳しいよな,とひしひしと感じて勉強しているので,その影響下と思います。

さて,本の流れに沿って,簡潔に進めましょう。

主権論の祖 ジャン・ボダン

 主権,この言葉はよく耳にしますよね。最近は衆議院選挙もあって,民主主義がどうとか,国民主権だとか,そんな言葉が聞こえて…いや,あまり聞こえてこなかったかなぁ…。

 ま,そんな主権についてです。

 ジャン・ボダンという哲学者/法学者は,1530年にフランスで生まれた人ですね。
 この時期はまだ,封建国家による王権による支配であったとされています。
 ただ,王様が偉かったかというと,そうでもないようです。王様は権威ではあったけれども,その権威はぽつぽつとあり,キリスト教の教皇もその一つかもしれませんね。それら権威と契約をして,貴族たちが自分たちの領土を守る,という形で地域支配があったとのことです。
 ローマ帝国や,大きな帝国の話しも頭に浮かびますが,そんなことを考えると話が進まないので飛ばします。

 つまり,国という領土の管理はなく,力を持つ貴族たちが権威と契約して,なんとなくの集合体を作っていた,と考えるのがよさそうです。場合によっては,遠くの権威と契約する,即ち,現在の国という考えを持ち込むとすると,飛び地のようなことになるのでしょう。
 ただ,その時代の契約は,複数の王様との契約もあったようで,やはり国という概念は弱いですね。

 日本の鎌倉時代などを思い出すと,御恩と奉公という対等な契約があり,かつそれは複数の人とは結ばない,というものでしたが,それがもっと自由に広がったものでしょうね。

 この,日本の単一契約,というのも興味深いところです。

 そして,宗教戦争など沢山の悲惨なこともあったのですね。それは問題だということで,どのような権威からも独立して脅かされない権利として,『主権』という概念をボダンは打ち立てたのです。
 権力がある,ということは,立法によって統治する,という権利があるということとされたのです。そのような権利がある,という概念が成立したということ自体が,大変にすごい新しいことだったのですね。

 この主権は,形は変わっても,つまり国だろうが国民だろうが,独裁だろうが,主権という概念はずっと維持されていますね。主権という概念がない,という考えも検討することが必要かもしれませんね。

社会契約論 トマス・ホッブス

 次は,ホッブス,1588年にイングランドに生まれた哲学者ですね。

 ホッブスは,社会契約論の哲学者と知られているようです。そうなんですね。
 そして彼の主張で大切なことは,「自然状態」の理論です。自然状態とは,人が素のままで自然の中に放り込まれており,いろんな人がいるけれど,皆同じ人間だから,大したことないよ(それぞれを大切にしよう,ではありませんよ)という視点です。

 ホッブスは,自然権という概念を打ち立て,自分の力を自分のために好き勝手に用いる自由,としたのです。これ,結構やばいですよね。そんな人間たちが,平等の中にいたら欲望とか嫉妬とか,争いがあって大変だよとも言っています。

 そこでホッブスは,自然な法があるということを更に述べ,
➀平和を獲得する希望に向かって努力すべき
②平和と自己防衛のためには,必要な範囲で自らの自然権を捨てるべきで,その結果お互いに満足する範囲に留まるべき
 としているのです。

 勝手な力はあるけど,それは勝手に行使してはいけないのだよ,ということをいったのですね。
 そして,コモンウェルスとかいろんな検討もあるのですけれど,それは飛ばします。

立憲主義 スピノザ

 1632年にオランダに生まれたユダヤ人のスピノザも,いろいろと自由に考えた人のようですね。

 スピノザは,ホッブスの視点を更にもう一歩進めています。
 自然権はあるが,それは様々な条件のもとにあるとしたのです。そしてその様々な逃れられない法則や規則の制約を整理したのです。その制約は,魚が水の中で生きるように,自由に選択できるものではなく,生きるうえで課された条件とされています。

 つまり,ホッブスは,「できるだけみんな気を付けて」といったけど,そんなの守らない人もいるわけで,「それは守らないと生きていけないよ」と明確に表現したのですね。

 そして,人はそれらをちゃんと認識する力を持っており,それらを学んで身に着けていくことで,より自由になっていく,ということを述べているのです。このあたり,まさに哲学が始まっている,という感じですね。
 認識し,考える力が想定され,それらを高めることも求められているのです。

 そしてスピノザは,国家の最高権力は結局のところ力で決定されていることを指摘し,権力の集中はむしろ統治を害することが多いことも指摘しました。そして,国家は法に拘束されないこと,つまり最高権力は法に拘束されないことにもつながっているのです。隣の国などを考えると,よくわかりますね。

17世紀イギリスを代表した哲学者 ジョン・ロック

 1632年にイギリスに生まれたジョン・ロックは,哲学としては経験論的認識論を体系化していますね。
 客観と主観は統合される,という前提に立っているところは,後の哲学者たちによって深められていきますね。

 自由主義の父とも言われているとのことですが,著者によると,ロックの政治思想は哲学的ではなく,単なる思想であるとも言われています。
 ロックは,立法権には限界があり,執行権を持つ行政の裁量が大きくなるであろうことを予見しています。
 法律では,細かいことは決め切れずに,実際に運用する公務員の裁量で色々と変わる,ということは現在でもイメージが湧くことですよね。

 そして,ロックは「抵抗権」という概念を出してきます。これは,不満を否応なく爆発させてしまうことについてです。ただ,それは認めるとか認めないとかいった類のものではないですよね。
 まるで,怒る権利がある,というようなことですから。ただ,それを個人が持つ自然権を害された時に反撃する理論的源泉として位置づけた,ということかもしれません。このあたり,私のざっとした感想の部分もありますから,気を付けてくださいね。間違っても,大学生などがこれを見てそのままに信じて書かないようにしてください。

近代政治哲学を完成させた ジャン=ジャック・ルソー

 ルソーは,1712年にジュネーブに生まれているのですね。

 ルソーは,社会契約とは,人民各自が人民全体と締結するものであると考えたのです。これは,人が誰かほかの人と契約する,というのではなく,個人が自分も含めた集合としての全体と契約を結ぶ,という発想です。
 そしてこれは,人民主権の基礎となったのですね。
 だから,ルソーは民主主義の祖と見なされているのです。

 ただ,難しいことは,「一般意思」という概念です。これは,契約によって成立した主権者の意思のことであり,その行使こそが主権の行使となるのです。つまり,主権とは一般意思の行使に他ならないとされています。

 ただ,一般意思は常に正しく,常に公の利益を目指す,ということになっているのですが,その部分になってくると,それはまるで社会における自然法のような,あるいは大きな存在を想像しているような,そんな感じさえしてしまいます。

 ただ,これらの検討を通して(めちゃくちゃすっ飛ばしているのですが),主権の限界ということを明確化したのです。

 つまり,主権=一般意思=立法権 によっては統制しきれない現実を踏まえ,執行権と立法権の間のずれを補うために,定期的な民会の開催を提唱したのです。

それぞれを大切にした デイビット・ヒューム

 1711年にスコットランドに生まれたヒュームは,哲学上は人それぞれの認識の違いを認めていく,という取り組みを進めた人だというように認識しています。最近の,価値の多様化ですね。

 ヒュームは,黙約という言葉を使い,法律にはならないお互いの思いやり,共感で進む部分が多いのだ,ということを指摘しています。

厳密な哲学者 イマヌエル・カント

 1724年にロシアのケーニヒスベルクに生まれたカントは,ドイツ哲学界の中心人物になった大物ですよね。
 この本を手に取ったのは,ここで検索に引っかかったからなのですね。

 カントは,人は何を認識できるのか,又はできないのかなどについて,徹底的に検討した人です。
 そして,倫理学について詳しく述べ,自分の感情に従うのは動物だ,というようなことを言って,本当の自由はもっと理性的な選択を行うことによるのだ,ととても厳しいことを言っている人です。
 すごいですね。

 そしてカントは,やはりとても論理的に政治体制を整理し,➀支配の形態(誰が国家の最高権力を持っているか),②統治方式(どうのように行使されているのか),に分けてカテゴリー化しました。
 今までの文章による,立法権と行政権という見方で考えると分かりやすいかもしれません。

 ➀については,最高権力者が一人(つまり独裁),数人(つまり貴族制),全員(民主制)があるとしました。
 ②は,執行権(行政権)を立法権から区別する共和的方式と,それらを分けずに進める専制的な方式があるとしています。

 ただ,実際に全員による全員の支配ということが不可能なことは,あまり考えなくてもわかりますよね。
 その意味で,民主主義ということがいかに難しいか,厳密な民主主義ということは不可能であり,その代わりに代表者による専制を認める,そして一定の人たちの執行を許容する,という枠組みの中で運営されている国がある,ということなのですね。

 これら様々な著名な哲学者たちが行ってきたのは,人はいかにして幸せを獲得し,生きていくことができるのか,その社会環境についても様々な概念化によって発明を行ってきているのですね。

 これからも,まだ新しい政治形態や思想が生まれてくることでしょう。
 そして,現状が正しいからあるのではなく,完ぺきなものがないからこそ,より良いものを様々に検討し続けながら今に至っている,その過程に過ぎないということを改めて考えていました。

 それらの時代における,大人と子供の関係,言い換えると子供の位置づけなど,それもまた興味深いテーマですが,それはまた機会があれば書いてみたいと思います。

 簡単に言うと,子どもという概念は昔は西洋ではなかったのですよね。子どもは,未成熟な大人,という位置づけだったのです。だから,早く大人になれよ,と言われ,大人になるイニシエーションを経て,大人になっていったのです。

 日本では,成人年齢も変更されそうです。大人,子供という概念も揺れています。

 

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