選ぶこと
私たちは、日々、ありとあらゆるものを選択しています。
何時に起き、服を決めて、着替えて、食事をして、家を出る。この過程だけでも、ルーティーンになっていることも多いでしょうが、選択の余地が沢山あります。
ま、朝からあまり考えすぎないように、選択の余地を減らしておく、という方法を実践される方もおられるでしょうけれども…、それもまたよし。
ランチにハンバーガーとスパゲッティがあり、どちらを選んでもいいですよ、というときに、自分のその時の状態や気分、更には普段からの好み、色々なものが総動員されて選ぶのでしょう。
選ぶのに時間をかけすぎても困りますが、あとで「あっちが良かった」といわれ続けても困ります。
選ぶときには、理性だけではなく、感情も、更には無意識も活躍してくれることもあるでしょう。
しっかり選ぶことと、流されて選ぶことは随分と異なります。
しっかり選ぶときには、自分の自我をしっかり意識して、選択の責任を引き受けるので、無意識の支援も得られるものです。
流されて選ぶときには、気が付いたらしていた、抜けられなくなっていた、ということもあるように、自分でその責任を持ちにくいのでしょう。
選択理論
アメリカの心理療法家で、グラッサーという人が選択理論、というのを提唱していましたね。
実はこのアプローチは、認知行動療法とも似ているなぁと思った記憶があります。
一日に一つは、じっくり考えて選ぶ、そんな練習をしてみることはよいでしょう。
ひらめきを参考にする人も、人の意見を参考にする人もいるでしょう。自分の中でそれでいいのかなぁ、とじっくりと内に聴こうとする人もいるでしょう。
どれがいいのではなく、どれもこれも合わせて、いろんな側面から考えて、かといって長い時間をかけすぎずに意識的に取り組んでみるのが練習です。
選ぶことがうまくなると、自分の行動や自分の存在に対して、安定感を感じられるようになるでしょう。
選ぶことは、選ばないものを選ぶということでもありますね。
このコロナで断捨離に取り組んだ人もいるでしょう。何を捨て、何を取っておくか、それもまさに意識的に選ぶ作業でしょう。そして、自分が何を大切にしているのか、自分との出会いを果たした人もいるのではないでしょうか。